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結婚愛 51

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51 (7) 夫婦は、互いに世の交わりと似た交わりを享受する、しかし、さらに快い、さらに祝福されたものである。けれども、子孫を産むことはなく、それに対してすなわちその代わりに、愛と知恵の霊的な子孫を産むことがある
夫婦が世の交わり(性交)と似た交わりを享受するのは、死後、男は男、そして女は女であり、両者に創造から結合への性向が植え付けられているからです。人間のもとのこの性向は彼の霊とここからの身体のものであり、それゆえ、死後、人間が霊となるとき、同じ相互の性向が残ります。このことは似た交わり(性交)なしにありえません。というのは、人間は、前のように、男からも何も、女からも何も欠けていないで、形に関して、同じく情愛と思考に関して、自分自身と似ている人間であるからです。その時、似た交わり(性交)であること以外に、ここから他のものの何がいえますか? また、結婚愛は貞潔・純粋・聖なるものであるので、交わり(性交)もまた完全なものであるといえませんか? (しかし、これら多くのものについてメモラビリア44番参照)。
その時、交わり(性交)はさらに快い、祝福されたものであり、その愛は、霊的なものになる時、さらに内的な、さらに純粋なもの、ここからさらに知覚できるものになります、すべての快さは知覚にしたがって増大し、その至福がその快さの中で認められるまでも増大します。