カテゴリー

結婚愛 54

53◀︎目次▶︎55

54 死後の夫婦の状態についてこれまで話しに出したものに、これらを言い足すべきです――

(i) 単に自然的であったすべて夫婦は、死後、分離される。その原因は、彼らのもとの結婚愛が冷え、姦淫愛が熱くなるからである――しかしそれでも、分離の後、時々、他の者と夫婦のように交わりに加わる、しかし短い時間のあと、自分自身から互いに去る。このことが出来事としてしばしば繰り返される。最後に、男はある娼婦に、女はある姦淫者に引き渡され、このことは地獄の牢獄の中で生じる(それについては『啓示された黙示録』153番(10))、そこではふたりとも、見境ない淫行は罰の下に禁じられている。
[2](ⅱ) 一方は霊的であり、もう一方は自然的である夫婦もまた、死後、分離され、霊的な似合いの配偶者が与えられる、しかし、自然的な者は似た者の場所へ、好色な者の場所へ追放される。
[3](ⅲ) けれども、世では独身で生き、そしてまったく心から結婚を追い出した者は、もし霊的であるなら、独身にとどまる。けれども、もし自然的なら、淫行者になる。
けれども、その独身中に結婚を望んだ、さらにまた、それを真剣に求めたけれども成功しなかった者は異なる――これらの者は、霊的であるなら、祝福された結婚が備えられる。しかし、天界にいる時よりも前には備えられない。
[4](ⅳ) 世で修道院の中に閉じこもっていた者は、処女も男も、修道院の生活が終わった後、その生活は死後もいくらかの期間続くが、解放され、出され、そして自分の欲望の願いから、結婚〔生活〕を生きることを欲するかあるいは欲しない自由を得る――結婚を欲するなら、そうなる。欲しないなら、天界の脇の独身者〔のもと〕へ運ばれる。しかし、許されない情欲で燃え上がった者は投げ落とされる。
[5](ⅴ) 独身者たちが天界の脇にいるのは、永続する独身者のスフェアが天界のスフェアそのものである結婚愛のスフェアを悩ますからである。

結婚愛のスフェアが天界のスフェアそのものであることは、〔そのスフェアが〕主と教会の天界的な結婚から降るからです。