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結婚愛 55

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3 貞潔な性愛について

55 (これらに私は二つのメモラビリアを加えます、最初のものはこれ——)
かつて、天界から最も甘美な歌が聞こえた。そこに、乙女たちとともに妻たちがいて、彼女たちは短い歌をいっしょに歌っていた。歌うことの快さは、調和して流れ出るある種の愛の情愛のようであった。
天界の歌は、聞こえるようになった情愛以外の、すなわち、表現され、音に変えられた情愛以外の何ものでもない、なぜなら、話すことによって表現される思考のように、歌によって表現される情愛であるからである。天使たちは調子のつり合いや滑らかさから情愛の内容を知覚する。
その時、多くの霊が私のまわりにいて、そのある者から私は、「最高に甘美な歌が聞こえた、それはある種の愛らしい情愛の歌であり、私たちはその内容を知らない」と聞いた——それゆえ、いろいろなものを推測したが、むだだった。ある者は、その歌うことが婚約を結ぶときの花婿と花嫁の情愛を表現していることを、結婚式へ入るときの花婿と花嫁の情愛を表現していることを、ある者は、夫と妻の最初の愛を表現していることを推測した。
[2]しかし、その時、彼らの真ん中に天界からの天使が現われ、「貞潔な性愛を歌っています」と言った。
しかし、まわりに立っている者は、何が貞潔な性愛か質問した。
天使は、「美しい形のまた適正な振る舞いの乙女へのまた妻への男の愛であり、すべての好色な観念から損なわれていません」と言った。これらが言われて、天使は消えた。
歌は続いた。その時、それを表現した情愛の内容を知ったので、多くの変化とともに、だれもが自分の愛の状態にしたがってそれを聞いた。女を貞潔に眺めた者は、その歌を、調和した甘美なもののように聞いた。けれども、女を不貞に眺めた者は、それを不調和な悲しいもののように聞いた。女をうんざりして眺めた者は、それを不一致のしゃがれ声のように聞いた。
[3]しかし、突然に、その時、彼らが立っていた平地は、劇場に変えられ、声が聞こえた、「この愛を議論せよ」。
すると急に、いろいろな社会から霊たちが近づき、彼らの真ん中に白い衣を着たある天使たちがいた。これらの者は、その時、語って、言った——
「私たちは、この霊界で、愛のすべての種類を、男に対する男の愛だけでなく、女に対する女の愛を、そして、夫と妻の相互の愛を、女に対する男と愛を、男に対する女の愛もまた探求しました。社会を通り抜け、調べることが私たちに与えられましたが、まだ、全般的な貞淑な性愛を、真の結婚愛から絶えず力(性的能力)の中にいる者のもとでないなら見つけていません、これらの者は最高の天界にいます——そしてまた、私たちの心の情愛へこの愛が流入するのを知覚することが与えられ、私たちはそれを快さで、それらの心が一つであるふたりの夫婦の愛を除いて、すべての他の愛にまさっていることを深く感じました——しかし、あなたがたがこの愛を議論するよう求めます、あなたがたの前に新しいもの、未知のものであるからです。楽しさそのものであるので、〔それは〕天界の私たちにより天界の甘美さと呼ばれています」。
[4]そこで、議論したとき、最初に結婚について貞潔を考えることができなかった者が話し、言った。
「だれが、美しいまた愛らしい乙女または妻を見る時、美を愛するように、彼女たちを味わう(楽しむ)ことが許されても、それでもまったく欲しないことが、そのように強い欲望から自分の思考の観念を正し、清めることができるのか?だれが、それぞれの男に生来の強い欲望をこのような貞潔なものに、そのようにそれ自体でないものに変えること、それでも愛することができるのか? 性愛は、目から思考の中へ入る時、女の顔の中にとどまることができるのか? すぐに胸の中へ、また越えて降らないか?
天使たちは、〝その愛は貞潔であり、それでも、すべての愛の最も甘美なものであり、もっぱら、自分の妻との真の結婚愛とここからの極めて有効な能力の中にいる夫のもとに存在可能である〟という空虚なことを話した——これらの者は、他の者よりも、美しい女を見る時、自分の思考の観念を高いものの中に保ち、降って来ないように、その愛をつくるものへ進まないよう宙ぶらりんに保つことができるのか?」
[5]これらが話された後、冷たさと熱の中に、自分の妻へ向けて冷たさの中に、〔異〕性へ向けて熱の中にいた者が言った、「何が貞潔な性愛か? 性愛は貞潔が加えられるとき、矛盾ではないのか? 加えられたものの中の矛盾は、それからその属性が取り去られているものでないなら、それは何らかのものであるのか? 貞潔がその甘美なものを奪うとき、どのように、貞潔な性愛は、すべての愛の最も甘美なものであるのか? あなたがたすべての者は、どこにその愛の甘美なものが住むか知っている。そこで、これと結合された観念が追放されるとき、その時、甘美なものは、どこに、どこからなのか?」
その時、ある者が続けて、言った、「私たちは、非常に美しい者と一緒にいたが、欲しなかった。それゆえ、私たちは、何が貞潔な性愛か知っている」。
しかし、彼らの好色を知っていた仲間は、答えた、「あなたがたは、その時、〔異〕性を嫌悪する状態の中にあった、〔性的な〕能力がなかったことから、これは貞潔な性愛ではなく、不貞な愛の最後の状態である」。
[6]これらを聞いて、天使たちは憤慨して、右に、すなわち、南に立っていた者が話すよう請い求めた。これらの者は言った——
「男と男との愛があり、なおまた女と女との愛、また女への男の愛と男への女の愛があります。これら一対の三つの愛は、互いにまったく異なっています。男と男との愛は理解力と理解力との愛のようです、というのは、男は理解力となるように創造されて、ここから生まれているからです。女と女との愛は男の理解力への情愛と情愛との愛のようです、というのは、女は、男の理解力への愛となるように創造され、生まれているからです——これらの愛は、すなわち、男と男との愛、そして女と女との愛は、胸の中へ深く入りません、しかし外に立ち、互いに単に触れます、そのようにふたりは内的に結合しません。それゆえ、ふたりの男たちはふたりの闘技者のように推論と推論で互いに殴り合います。そして、ふたりの女たちは、情欲と情欲で、互いに争いでけんかするふたりの演技者のように殴り合います。
[7]しかし、男と女との愛は、理解力とその情愛の愛であり、これは深く入り、結合します。その結合がその愛です。しかし、心の結合であって同時に身体の結合ではありません、すなわち、その結合だけへの努力だけであるので、霊的な愛であり、ここから貞潔な愛です。この愛は真の結婚愛にいる者のもとにだけ存在し、ここからすぐれた〔性的〕能力の中にいます、これらの者は貞潔のゆえに、自分の妻から以外の他の女の身体からの愛の流入を許しません。卓越した〔性的〕能力の中にいるので、〔異〕性を愛することと同時に不貞を避けることしかできません——ここから、彼らに貞潔な性愛があり、それは本質的に眺められるとき、内的な霊的な友情であり、それはその甘美なものを、しかし貞潔なものをすぐれた〔性的〕能力から導いています。淫行の全面的な拒絶から、彼らにすぐれた〔性的〕能力があります。妻だけが愛されるので、貞潔です。
さて、彼らのもとのその愛は肉からのものに関係しないで、霊だけからのものなので、貞潔です。また、女の美は生来の性向から、同時に心の中に入るので、甘美なものです」。
[8]これらを聞いて、傍観者からの多くの者が手を自分の耳へ置き、言った、「それらの言われたことは、私たちの耳を損なう、あなたがたが話したそれらのものは、私たちに価値がない」。不貞な者であった。
その時、再び、その歌うことが聞こえ、今や、前のものよりもさらに甘美であった。しかしこれは不貞な者の前に、不調和の醜い音であり、そのような不協和なきしり音のために、劇場から投げ出〔すように〕して、知恵から結婚の貞潔を愛したわずかな者を残して、逃げ去った。