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結婚愛 56

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4 知恵の神殿について、そこで賢明な者により女性の美の原因について議論された

56 (第二のメモラビリア——)
かつて、霊界で天使たちと話している時、私は以前に1度見たことのある知恵の神殿を見ようとする楽しい快感を吹き込まれた。私は彼らにそれへの道について質問した。
彼らは言った、「光に従いなさい、あなたは見つけるでしょう」。
私は言った、「光に従うとは何ですか?」 彼らは言った、「私たちの光は、その神殿に近づくほどますます輝きます。それゆえ、輝きの増大にしたがってその光に従いなさい、なぜなら、私たちの光は太陽としての主から発出し、ここから本質的に見られた知恵であるからです」。
その時、随行するふたりの天使と、私は光の輝きの増大にしたがって進み、坂のある小道を通って、南の方位にあった一つの丘の頂上まで上った、そこに堂々とした門があった——見張りが、私とともにいる天使を見て、門を開けた。見よ、シュロの木と月桂樹の並木道が見られ、それにしたがって私たちは進んだ。並木道を行き巡って、庭園で終わり、その真ん中に知恵の神殿があった。
そこを私が見回したとき、神殿に似ている小さな建物を見た、それらの中に賢明な者がいた。
私たちは一つ〔の建物〕に近づき、もてなす者(主人)と入り口で話し、到来の理由を、接近の方法を語った。もてなす者(主人)は言った、「ようこそ、入り、座りなさい。私たちは知恵の会話に加わりましょう」。
[2]私は小さな建物の内部を見た、それは二つに分かれていた、それでも一つであった。透明な内壁によって二つに分かれていた、しかし、透明さから一つのように見られた、それは最も純粋な水晶のようであった。
私は、なぜそのようなのか質問した。
彼は言った、「私たちはひとりではありません、妻が私とともにいます、私たちはふたりではありません、しかしそれでも、ふたりでなく、一つの肉です」。
しかし、私は言った、「私は、あなたがたが賢明であることを知っています。賢明な者または知恵は女と何〔の関係〕があるのですか?」
これに、もてなす者(主人)はある種の憤りから顔を変え、手を伸ばした、見よ、その時、近い小さな建物から他の賢明な者が近づいた、この者に、冗談ぽく言った、「質問している私たちのこの到来者は、『賢明な者または知恵は女と何〔の関係〕があるのですか?』と求めました」。
これに、すべての者はほほ笑み、言った、「女なしにすなわち愛なしに、賢明な者または知恵とは何ですか? 妻は、賢明な者の知恵の愛です」。
[3]しかしもてなす者(主人)は言った、「今、私たちは、知恵についての何らかの会話に加わりましょう。原因について、また今は、女性の美の原因について話しましょう」。
その時、順に話された——最初の者はこの原因を、女は主により男の知恵の情愛として創造され、知恵の情愛は美そのものである、と言った。
第二の者はこの原因を、女は主により男の知恵によって創造されたこと、男からであるので、ここから愛の情愛を吹きかけられた形であり、愛の情愛はいのちそのものであるので、女は知恵のいのちである、けれども男性は知恵である、そして知恵のいのちは美そのものである、と言った。
第三の者はこの原因を、女に結婚愛の歓喜の知覚が与えられている、彼女たちの全身は知覚のそれらの器官であるので、結婚愛の歓喜の住む場所としてその知覚とともに美であるしかない、と言った。
[4]第四の者はこの原因を、主は男からいのちの美と優雅さを引き出し、女の中に移した、ここから、男は、女の中の自分の美と優雅さとの再結合なしでは、厳格で、いかめしく、情味に乏しく、愛嬌がない、彼は自分自身にだけでないなら賢明でなく、この者は愚鈍である。しかし、男が妻の中のいのちの自分の美と優雅さと再結合されるとき、快く、楽しく、生きていて、愛らしい、と言った。
第五の者はこの原因を、女は自分自身のためでなく、しかし男のために、美として創造されている、そのように、男は、それ自体固いものから柔らかになる、彼らの気質(アニムス)は、それ自体きびしいものから柔らかになり、彼らの心は、それ自体冷たいものから、温かくなる、自分の妻と一つの肉になるとき、そのようなものになる、と言った。
[5]第六の者はこの原因を、全世界は主により最も美しい作品として創造された、しかし、その中に容貌で美しく、振る舞いで礼儀正しく、さらに完全なものは何も創造されなかった男が、彼女を〔その〕気前のよい供給のために、主に感謝し、その方からの知恵の受容に報いる理由のためである、と言った。
これらや同様の多くのことが言われた後、水晶の内壁を通して妻が見られ、〔その〕夫へ言った、「よろしかったら、話しなさい」。話したとき、妻から知恵のいのちが知覚された、というのは、話しの音声にその愛が内在したから。このように、経験によりその真理が証明された。
この後、私たちは知恵の神殿を、そしてまた、そのまわりの楽園を観察し、それらから、うれしさで満たされて、立ち去り、門へと並木道を通り過ぎ、上った道を通って降った。