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結婚愛 57

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(三)真の結婚愛について

57 結婚愛には無限の変化があります。ある者のもとに、他の者のもとにあるのと同様なものは存在しません。
確かに、多くの者のもとで同様なもののように見えます。しかし、身体に属す判断の前にそのように見られるのは、人間は、粗野で鈍いこの判断からそのようなものをほとんど識別しないからです。身体に属す判断によって意味されるものは、外なる感覚からの心に属す判断です。
しかし、霊に属す判断から見る者の前に相違が見られます、判断のこの視覚を高く上げることができる者の前にさらに区別して〔相違が見られます〕、それ〔その高く上げること〕は感覚からその離脱によって、さらに高い光の中へ高めることです。これらの者は、最後に、理解力で確信し、このように結婚愛はある者のもとに、他の者のもとにあるのと同様なものは存在しないことを見ることができます。
しかし、それでも、その愛が本質と完全さそのものの中で、いのちと一緒に神により人間に着せられた時、どんなものであるか、そのようにどんなものであったか、最初に知らないなら、だれもこの愛の無限の変化をある種の理解力の光の中で、さらにまた上げられて、見ることができません――この最も完全であった者のその状態が知られないなら、その相違について何らかの調査はむだであることが明らかです。というのは、何らかの確立した点があって、それから始まるかのように、また関係するものにねらいを定めるかのように相違が導かれ、このように真にまた偽りなく見られますが、その何らかの確立した点がないからです。
これがその愛をその真の本質の中で記述し始める理由であり、神によりいのちと一緒に人間に注ぎ込まれた時、この中でそれが生じるので、その初期の状態の中でどんなものであったかそれを述べます。この状態の中にその真の結婚のものがあったので、この章で「真の結婚愛」について書きます。
しかし、この記述を次の順序で行ないます。

(1) 真の結婚愛が存在する、それは、どんなものであるか、存在することも、ほとんど知られていないために、今日、これほどにまれである。
(2) その愛の起源は善と真理の結婚からである。
(3) その愛は主と教会の結婚に対応する。
(4) その愛は、その起源と対応から、天界の天使と教会の人間のもとにある主からのすべての愛よりも、天的なもの・霊的なもの・聖なるもの・純粋なもの・清潔なものである。
(5) 天的なまた霊的な、ここから自然的なすべての愛の根本的な愛でもある。
(6) そして、すべての楽しさとすべての歓喜が最初から最後までその愛の中に集められている。
(7) しかし、主に近づき、そして教会の真理を愛し、その善を行なう者しかその愛の中にやって来ない、その中にいることもできない。
(8) この愛は、金・銀・銅の時代に生きた古代人のもとの愛の愛であった、しかし、その後、しだいに消滅した。

これらの説明を今から続けます。