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結婚愛 58

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58 (1) 真の結婚愛が存在する、それは、どんなものであるか、存在することも、ほとんど知られていないために、今日、これほどにまれである
続きの中で述べられているような結婚愛が存在することは、確かに、それ自体が若者と処女の心の中に徐々にしみ込み、そして入る時の彼らの愛の最初の状態から、そのように、異性からのひとりだけを愛し、そして花嫁(婚約者)として望み始める者のもとに、さらに婚約の時に、これが長くされ、結婚式へ進む時にもっと、最後に結婚式で、またその後の最初の日々で、認められることができます。
その時、その愛がすべての愛の根本的なものであることをだれが認めませんか、なおまた、その中にすべての楽しさとすべての歓喜が最初のものから最後のものまで集められていることに同意しませんか?
また、この楽しい時の後、その喜びがしだいに過ぎ去り、最後にそれをほとんど感じないようにまでもなくなることをだれが知りませんか?もし、その時、彼らに、「その愛は前のものと同じものである。すべての愛の根本的なものである。その中にすべての楽しさとすべての喜びが集められている」と言われるなら、同意しないし、認めもしません。おそらく、「たわごとである、または限度を超えた神秘的なものである」と言うでしょう。
これらから、結婚の初期の愛は真の結婚愛に似ていて、ある映像として見せて示していることが明らかです。このことは、その時、不貞なものである性愛が退けられており、そしてそれに代わって、真の結婚愛であり、貞潔である〔異〕性からのひとりの〔者だけを愛する〕愛が、植え付けられて固く宿っているからです。
だれがその時、愛していない他の女を気まぐれに眺め、そして自分の唯一の者を愛して眺めるのですか?