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結婚愛 66

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66 同様に、その愛へ向けての人間の創造から、その後、それによる彼らの形からはっきりと明らかです。
男は賢明になる愛から知恵になるように創造されています、女は彼の知恵から、そのようにそれ〔彼の知恵〕にしたがって、男への愛になるように創造されています。そのことから、ふたりの配偶者は愛と知恵の、すなわち、善と真理の結婚の形と似姿そのものであることが明らかです。
善も真理も、主体の中にあるようにその実体の中に存在していることを正しく知らなければなりません――抽象的な善と真理は存在しません、というのは、座を持たないので、どこにもないからです、それどころか、飛び去るようなものであり、現われることもできません。それゆえ、単なる存在物であり、理性それ自体にはそれらについて抽象的なものに見られます、しかしそれでも、主体の中にあるのでないなら考えることができません、なぜなら、人間のすべての観念は、高尚なものもまた、実体的なもの、すなわち、実体に結び付けられたものであるからです。
なおまた、形でないなら実体は存在しないことを知らなければなりません。形となったものでない実体も何らかのものではありません、それについて何らかものは属性づけられることができないからです、そして属性のない主体は想像の所産にもなりません。
このように、真の結婚愛にいるふたりの配偶者が、実際に善と真理のすなわち愛と知恵の結婚の形である、と見られることができるために、これらの哲学的な論証を加えました。