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結婚愛 68

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68 (6) そして、すべての楽しさとすべての歓喜が最初から最後までその愛の中に集められている
人間により感じられるどんなものでも、すべての快さは彼の愛に属します。それ〔快さ〕によって愛は、それ自体を明らかにします、それどころか、存在し、生きます。快さは、そこへそれ自体を愛が高める段階で、そのようにまた、情愛が支配愛をさらに近くに触れるように作用し、それ自体を高めることがよく知られています。
さて、結婚愛はすべての善い愛の根本的なものであるので、また人間の最小のものに刻み込まれているので、前に示されたように、その快さはすべての愛の快さにまさり、そしてまたその臨在にしたがって、同時にそれとの結合にしたがってこれを楽しませることになります。というのは、心の最内部のものを、同時に身体の最内部のものを、その泉の歓喜の水流が流れ抜け、開くように広げるからです。
[2]この愛の中にすべての快さが最初から最後のものまで集められていることは、他のものよりもその卓越した役立ちのためです。〔その〕役立ちは人類の繁殖とここから天界の天使の繁殖です――この役立ちは創造の目的の目的であったので、すべての祝福・幸せ・快感・楽しさ・快楽が、それらは創造主なる主によりどんな場合でも人間の中に与えられることができ、彼のこの愛の中に集められていることになります。
快さが役立ちに続き、この愛にしたがって人間に内在することは、五つの感覚である視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の快さから明らかです。これらのそれぞれに快さが、それらの特定の役立ちにしたがって、変化とともにあります――結婚愛の感覚にないものとは何ですか、その役立ちは他のすべての役立ちの複合体です。