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結婚愛 69

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69 私は、結婚愛にすべての楽しさとすべての歓喜が最初から最後のものまで集められていることを認めるようになる者がわずかであることを知っています、その理由は、真の結婚愛に集められているその楽しさと歓喜が、今日、どんなものであるか、また〔それらが〕あることが、前に(58, 59番)に説明され、証明されたそれらにしたがって、ほとんど知られないほどにわずかであるから、なぜなら、本物以外の他の結婚愛に存在しないからです――これが地上でこれほどにわずかであるので、その卓越した幸福を天使たちの口から以外の別の出所から描くことは不可能です、これらの者はその中にいるからです。
これらの者が言いました、「霊魂に属すものであるその最内部の歓喜は、その中へ最初に、愛と知恵の結婚のもの、すなわち、主からの善と真理の結婚のものが流入しています、ここから、同時に平和と無垢に属すものであるので言い表わすことができず、知覚されることができません。しかし、同じものが降る中で、さらにまたさらに知覚できるものになります」。
[2]「心のさらに高いところで至福のように、心のさらに低いところで幸せのように、胸の中でそれらからの快感のように、また胸から身体のすべてと個々のものの中に広がり、そして最後に最外部の中で、歓喜の歓喜の中で、結合します」。さらに、天使たちはそれらの驚くべきものについて語って、言いました、「配偶者の霊魂の中に、これらから彼らの心の中の、またこれらから彼らの胸の中にあるそれらの歓喜の多様性は、無限であり、そしてまた永遠です。そしてそれは、夫のもとの知恵にしたがって高められています。このことは自分の花の盛りの年齢の中に永遠に生きているからです、彼らにますます賢明になることよりも祝福されたものは何もないからです」。
しかし、それらの歓喜について天使の口から語られた多くのものがメモラビリアの中に、特に、いくつかの章の後にさらに続けられるそれらの中に見られます。