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結婚愛 83

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(四)善と真理の結婚からの結婚愛の起源について

83 結婚愛の起源に内なるものと外なるものがあり、そして、多くの内なる起源があり、同様に多くの外なる起源があります。しかし、すべてのものの最も内なる起源または普遍的な起源は一つです。これが善と真理の結婚であることは、今から続くものの中で示します。
今まで、だれもその愛の起源をここから導きませんでした、善と真理の間に何らかの結合があることが隠れていたからです。隠れていたのは、善は、真理のように、理解力の光の中に見られないからです、ここからその知識はそれ自体を隠し、そして探求を逃れました――善はここから未知のものの間にあるので、だれも善と真理の間の何らかの結婚を推量することができませんでした。
それどころか、自然的で理性的な視覚の前に、善は真理から、何らかの結合がないようにも遠く離れて見えました――そのようであることは、このことが言われている時の会話から見られることができます。例えば、「これは善である」と言われるとき真理について何も考えられていません。また、「これは真理である」と言われるとき善について何も考えられていません。それゆえ、今日、多くの者により、真理はまったく〔善とは別の〕何らかのものである、同じく善も〔そうであると〕信じられています。多くの者からも、人間は知的であり、賢明であり、このように人間は真理にしたがって、それらを考え、話し、書き、信じ、また同時に、善にしたがってではない〔と信じられています〕――それでも、真理なしに善は、善なしに真理は存在しません、それゆえに、永遠の結婚がそれらの間に存在すること、なおまたこの結婚は結婚愛の起源であることを今から説明します。
これを次の順序で行ないます――

(1) 善と真理は、創造の普遍的なものであり、ここから、創造されたすべてのものの中にある。しかし、創造された主体の中に、それぞれの形にしたがって存在する。
(2) 孤立した善は存在しない、孤立した真理も存在しない、どこでも結合している。
(3) 善の真理が存在し、これから真理の善が存在する、すなわち、善からの真理が存在し、そしてその真理からの善が存在する。それらの二つのものに創造から一つのものへの性向が、それら自体を結合させるために植え付けられている。
(4) 動物界の主体の中で、善の真理すなわち善からの真理は男性であり、それからの真理の善すなわちその真理からの善は女性である。
(5) 主からの善と真理の結婚の流入から、性愛があり、結婚愛がある。
(6) 性愛は、外なる人すなわち自然的な人のものであり、ここからこれはすべての動物に共通である。
(7) しかし、結婚愛は、内なる人すなわち霊的な人のものであり、ここからこれは人間に固有のものである。
(8) 宝石がその母岩の中にあるように、人間のもとで、結婚愛は性愛の中にある。
(9) 人間のもとの性愛は結婚愛の起源ではなく、その最初のものである、したがって、外なる自然的なもののようであり、それに内なる霊的なものが植え付けられている。
(10) 結婚愛が植え付けられている時、性愛は逆転し、貞潔な性愛になる。
(11) 男と女は善と真理の結婚の形そのものであるために創造された。
(12) その形は最内部の中で、またここからそれらから続くものの中で、彼ら〔男と女〕の心の内的なものが開かれているほど、その形である。

今からこれらの説明を続けます。