カテゴリー

結婚愛 125

124◀︎目次▶︎126

125 (6) 夫は主を、妻は教会を表象しない、夫と妻の両者が一緒に教会をつくるからである
教会の中では一般的に、主が教会の頭であるように、そのように夫は妻の頭である、と言われています。そこから、夫は主を、妻は教会を表象することがいえます。しかし、主は教会の頭であり、男と女の人間が教会であり、さらにまたそれでも夫と妻が一緒に〔教会です〕。これらの者のもとに教会は最初に男に、男を通して妻の中に植え付けられます、男がその真理を理解力に受け、妻が男から受けるからです。しかし、もし逆なら、秩序にしたがっていません――それでも時々、このことが生じます、しかし〔そのことは〕知恵を愛していない男たちのもとに、ここから教会に属してもいない者のもとに生じます、そのようにまた、奴隷のように、自分の妻たちの思いのままにぶら下がっている者のもとに生じます。
これらの事柄について、何らかのものが「序文」の中に見られます(21番)。