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結婚愛 153b

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153b しかしその時、ある者がパラディウム(知恵の神殿)の真ん中に立ち、手にシュロをつかんで、言った、「どうぞ、神の形につくられた人間が、どのように悪魔の形に変えられることができたか、この秘義を説明しなさい——私は、天使が神の形であり、地獄の使いが悪魔の形であること、二つの形が互いに正反対であり、前者が知恵の形、後者が狂気の形であることを知っている。それで、言いなさい、神の形に創造された人間が、どのようにして、昼からこのような夜に変わることが、そのように神を、永遠のいのちを否定することができたのか」。
[2]これに教師たちが順に、最初にピュタゴラスの追随者、その後、ソクラテスの追随者が、その後、他の者たちが答えた。
 しかし彼らの間にプラトンの追随者である者がいて、この者が最後に話し、この見解がまさった。これらであった。「サートゥルヌスの時期すなわち黄金時代に、人間は、神からのいのちを受ける形であることを知り、認めていた。それゆえ、知恵が彼らの霊魂と心に刻まれており、ここから、真理の光から真理を見て、真理によってその愛の快さからの善を知覚した——しかし、人類が続く時代に彼らのもとの知恵のすべての真理とここからの愛の善は、絶えず神から流入するという認知から去ったように、神の住まいであることが終わった。そしてまたその時、神との会話が、天使との交わりがやんだ。というのは、彼らの心の内的なものは、上方へ、神により神へ高揚されるものであったその方向から、ますますゆがんだ方向へ、外へ、世へ、このように神により世を通して神へ曲げられ、最後に反対の方向へひっくり返された、それは下方への、自分自身への方向である。神は、逆さにされ、向きを変えられた内なる人から見られることができないので、人間は神から分離し、地獄の形に、このように悪魔につくられた。
[3]これらから、最初の時期に心でまた霊魂で認めた愛のすべての善は、ここから知恵の真理は、彼らに神からあること、そしてまたそれらは彼らの中の神のものであること、このように彼らは神からのいのちの単なる器であること、ここから神の映像・神の子・神から生まれた者と呼ばれたことがいえる——しかし続く時期に、それを心と霊魂で認めないで、ある種の間違った信念の信仰で、その後、歴史に基づく信仰で、また最後に、口だけで認めた。このように口だけで認めることは、認めることではない、それどころか、それを心で否定することである。
 これらから、地上のキリスト教徒のもとの今日の知恵がどのようなものであるか、たとえ彼らに、書かれた啓示から、神から霊感を受けることができても、その時、人間と獣の間の相違を知らない、と見られることができる。ここから多くの者が、もし人間が、死後に生きるなら、獣もまた生きる、または獣が死後に生きないので、人間も生きないと信じている。心の視覚を照らす私たちの霊的な光は、彼らのもとで暗黒となっていないか? 身体の視覚だけを照らす彼らの自然的な光は、彼らに輝きとなっていないか?」