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結婚愛 155a

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155a (13) 貞潔は、終生の独身を誓って結婚を放棄した者について、彼らの中に真の結婚生活への愛がなく、残存しないなら、述べられることができない
 これらの者について貞潔について言われないのは、結婚愛は独身を続ける誓いの後、捨てられるからです、それでもなお、それについて、もっぱら貞潔が言われます。それでも創造からまたここから性への性向が出生から内在し、これが抑制され、服従させられるとき、その性向が熱に、ある者のもとで熱情に変わるしかなく、それは身体から霊へ伸びる時、それを害し、ある者のもとで、それを汚すからです。また、ここから汚された霊は宗教も汚し、これらはそこに神聖さのあるその内なる座から、外なるものの中に投げ捨てられ、そこに口と身振りだけのものになります。それゆえ、主により、その独身(主義)が彼らのもとにだけあることが備えられています、その者は外なる礼拝の中にいて、主に近づかず、みことばも読まないからです。貞潔の誓約と一緒に、命じられた独身(主義)によって、これらの者のもとで、永遠のいのちは、内なる礼拝の中にいる者のように危険にさらされません――追加の事実は、多くの者がその生活の状態へ意志の自由から入っていないことです、しかしある者は理性からの自由の中にいる前に、ある者は世からの誘惑を避けるために入っています。
[2]主の礼拝に没頭するために、心を世から引き離したために、その状態を受け入れた彼らに貞潔があるとすれば、彼らのもとに真の結婚愛が、その前の状態があったか、あるいはその後に生じ、また残ったかであり、このときの生活の愛が、それについて貞潔が言えるからです。
 というのは、そのために、修道院のすべての者は、死後、最後には自分の誓いから解放され、自由の中へ放たれ、内的な誓いと自分の愛の願いにしたがって、あるいは結婚の生活、あるいは結婚外の生活の選択へと導かれるからです。その時、結婚の生活を始めるなら、礼拝の霊的なものを愛した者は、天界での婚姻が与えられます。しかし、結婚以外の生活を〔始める〕者は、天界の脇に住んでいる〔自分と〕似た者たちへ送られます。
[3]私は天使たちに「信心に専念し、自分自身を主の礼拝に引き渡し、このように自分自身を世の欺瞞から、また肉の欲望から遠ざけ、永続する処女性を誓約した女性たちは、天界へ受け入れられますか?彼女たちの信仰にしたがったそこの幸福な者の間の最初の者になりますか?」と質問しました――しかし、天使たちは、「ある者は受け入れられます、しかし、そこで結婚愛のスフェアを感じるとき、悲しみと不安が生じ、その時、ある者は自発的に、ある者は許可を願って、またある者は命令されて、去り、送り出されます。また、その天界の外にいるとき、彼女たちに、世で似た生活状態にいた仲間への道が開かれます。その時、不安から元気になり、そして、自分たちの間で喜びます」と答えました。