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結婚愛 155b

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17 金色の雨と大広間について、そこで妻たちが結婚愛についていろいろなことを話した

155b (第二のメモラビリア——)
ある朝、私の上方のある高いところから、極めて心地よい歌を聞いて、私は目覚めた。目覚めの最初に、内なるものであり、その日に続くものよりも平和なまた心地よいものであった。私はある時間、まるで身体の外かのように、霊の中に保たれることができ、歌われている情愛に敏感に気づくことができた。
天界の歌は、口を通して発せられる〔歌の〕調子のような心の情愛でしかない。というのは、話し方にいのちを与える愛の情愛からの音声であり、話されるものから分離しているからである。
私はその状態の中で、天界の妻たちにより歌となった結婚愛の歓喜の情愛であったことを知覚した。そのようであったことを、私は歌の音声から、その中で、その歓喜が驚くべき方法で変えられたことに気づいた。
この後、私は起き上がり、霊界を眺めた。見よ、東の太陽の下に、そこに金色の雨のようなものが見られた。そのように豊かに降っている朝の露であった、それは太陽からの光線により打たれたものであり、私の視覚の前に金色の雨の外見が示された——ここからさらに十分に目覚めて、私は霊の中に出た、その時、偶然に私と出会った天使に、私は、太陽から降っている金色の雨を見たか質問した。
[2]彼は、結婚愛について瞑想の中にいるたびごとにそれを見ると答え、その時、そこへ目を向けた。
言った、「その雨は、東の楽園の中央に住んでいる三人の夫たちが自分の妻とともにいる大広間の上に落ちています。太陽から降ってくるこのような雨がその大広間の上に見られるのは、彼らのもとに結婚愛とその歓喜についての知恵が、夫のもとに結婚愛についての知恵が、妻のもとにその歓喜についての知恵が住んでいるからです——しかし私は、あなたが結婚愛の歓喜について瞑想の中にいることを知覚します、それゆえ、私はあなたをその大広間へ案内し、導きましょう」。
楽園を通って、私を家へ導いた、それはオリーブの木から建てられ、入り口の前に二つの杉の柱があった。私を夫たちへと導き、彼らの居合わす中で、妻たちと話すことを私に許すように懇願した。彼らは同意し、彼女たちを呼んだ。
彼女たちは私の目を鋭く調べた。私は質問した、「なぜ、そのようにするのですか?」
彼女たちは言った、「私たちは、あなたの性向とここから情愛を、またこれから性愛についての思考を敏感に見ることができます。私たちは、あなたがそれについて熱心に、しかしそれでも貞潔に熟考していることを見ます」——彼女たちは言った、「それについて、あなたは私たちに何を言ってほしいですか?」
私は答えた、「言ってください、私は結婚愛の歓喜について何らかのものを求めています」。
夫たちは同意して、言った、「よろしければ、それらについて何らかのものを明かしなさい。彼らの耳は貞潔です」。
[3]彼女たちは質問した、「だれが、あなたに教えたのですか? その愛の歓喜について、私たちに質問することを、なぜ、夫にではなく?」
私は答えた、「私とともにいるこの天使が私に、耳の中に言いました、妻たちは歓喜の容器、感覚の容器であり、生まれついた愛であり、すべての歓喜は愛のものであるからです」。
これらに口をほほ笑ませて答えた、「賢明であってください。このようなことを、あいまいな意味でないなら言わないでください、私たち〔女〕性の心の中に、深くたくわえられた知恵であるからです、真の結婚愛にいないなら夫のだれにも明かされないものです。多くの理由があり、それらを、私たちは深く隠しています」。
その時、夫たちは言った、「妻たちは私たちの心のすべての状態を知っています、彼女たちに何も隠れていません。私たちの意志から発出する何でも見て、知覚し、感じます。逆に、私たちは、妻たちのもとに何も見ず、知覚せず、感じません。これは妻たちに与えられています、最も繊細な愛であるからです、結婚の友情と信頼の維持のためのあたかも燃えるような熱意で、このように両方のいのちの幸福で、それを夫と自分自身で準備し、それらの愛に植え付けられた知恵から、愛していると言わない、愛されたいと言わないような、ここから言うことができないほどの思慮分別に満ちています」。
私は質問した、「なぜ、言いたくないのですか、ここからできないのですか?」
もしこのようなものが少しでも彼女たちの口からもれるなら、冷たさが夫に入り込み、ふしど・寝床・視野からの分離が起こると答えた。「しかしこのことは、結婚に聖なるものを持たない、それゆえ、霊的な愛から自分の妻を愛さない者に生じます。愛している者には異なって生じます。これらの夫の中でその愛は霊的であり、ここから身体の中で自然的です——この大広間にいる私たちは、それ〔前者の愛〕からこの〔後者の〕愛の中にいます、それゆえ、私たちは、私たちの結婚の愛の歓喜についての秘密を夫に委ねています」。
[4]その時、私は、私にもまた彼らの秘密について何らかのものを明かすよう熱心に願った。
直ぐに彼らは南の方角の窓を眺めた、見よ、白く輝くハトが見られた、その翼は銀からのように輝き、頭は金からのような冠が飾られていた、枝の上に止まっていて、それからオリーブの実が出ていた。そのハトが翼を広げようとしていたとき、妻たちは言った、「私たちは何らかのものを明かします。そのハトが見られる時、〔明かすことが〕私たちに許されるしるしです」。
言った、「それぞれの男に五つの感覚、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚があります。しかし、私たちに、第六のものもまたあり、それは夫の結婚愛のすべての歓喜への感覚です。この感覚は、私たちが私たちの夫の胸・腕・手またはほほを、特に胸を触れる時、そしてまた彼らから触れられる時、私たちの手のひらの中にあります。彼らの心(mens)の思考のすべての喜びと楽しさは、彼らの心(アニムス)のすべてのうれしさと快さは、そして彼らの胸のお祭り気分と機嫌のよさは、彼らから私たちの中に移り、それ自体を形作り、知覚できるもの、感知できるもの、触れることができるものになります。私たちはそれらを、耳が歌の旋律を見分け、舌がごちそうの味を見分けるように、これほどに鋭敏にまた明確に見分けます——一言でいえば、夫たちの霊的な快感が、私たちのもとで具体化するかのように自然的なものを着るのです。それゆえ、私たちの夫たちから、私たちは、貞潔な結婚愛の感覚器官の器官、またここからその歓喜の器官と呼ばれています。
しかし、この私たちの性の感覚は、私たちの夫たちの中に、知恵を判断から〔夫たちが〕愛し、また逆に私たちが彼らを、彼らの中の同じものから、私たちが愛すれば愛するほどますます段階で高められ、存在し、残り、続きます。私たちの性のその感覚は、天界の中で知恵とその愛との戯れ、愛とその知恵との戯れと呼ばれています」。
[5]これらから私は多くのことを、例えば、歓喜の変化について質問したい願いをかきたてられた。
言った、「それらは無限です。しかし多くのことを言いたくありません、窓のハトが、足の下のオリーブの枝とともに飛び去ったので、それゆえ、できもしません」。
私は帰還を期待した、しかしむだだった。
その間、私は夫たちに質問した、「あなたがたに同様の結婚愛の感覚があるのですか?」
彼らは答えた、「それは私たちに全般的にあり、個別的にはありません。私たちの妻の個別的なものから、私たちに全般的な祝福・全般的な快さ・全般的な楽しさがあります。彼女たちから私たちにあるこの全般的なものは、平和の穏やかさのようなものです」。
これらが言われて、見よ、窓を通してイチジクの木の枝の上に止まっている白鳥が見られ、翼を広げ、飛び去った。
これが見られて、夫たちは言った、「これは私たちに、結婚愛について沈黙のしるしです。戻りなさい、別の機会に、おそらく多くのことが明かされるでしょう」。
そして彼らは退き——私たちは去った。