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結婚愛 156a

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156a (14) 結婚の状態は独身の状態よりも優先されるべきである

 このことは、結婚と独身についてこれまで言われたそれらから明らかです。
結婚の状態が優先されるべきであることは、それが創造からであり、その起源は善と真理の結婚であり、その対応は主と教会の結合にあり、教会と結婚愛は不変の仲間であるからです。その役立ちは創造のすべての役立ちよりもさらにすぐれているからです、というのは、ここから秩序にしたがって人類の、そしてまた天使の天界の繁殖があるからです、というのは、天界は人類からであるから。これらに追加の事実は、結婚は人間性に満ちたものであることです、というのは、そのことによって、人間は完全なものになるからです、そのことは次章の中で示されるべきもの〔として〕続けられます――それらすべてのものは独身の中にありません。
[2]しかし、「独身の状態は結婚の状態にまさる」という提唱が、もし証拠によって、同意を得て確立されるようなら、調査に残され、その時、これらによって、これらが出てきます――結婚は神聖なものでない、貞潔も存在しないこと。それどころか、貞潔は女性の中で結婚を断ち、永続する(=生涯の)処女性を誓うものでしかないこと。また、なおまた(ほかに)、永続する独身を誓う者は、「 去勢された者、その者は神の王国ために自分自身を去勢された者にする」(マタイ19:12)によって意味されること、ほかに多くのことが、その真理でない提唱から〔ありますが、それら〕もまた、真理ではありません――「去勢された者、その者は神の王国ために自分自身を去勢された者にする」によって、霊的な去勢された者は、結婚の中で淫行の悪を断っている者が意味されます。イタリアの去勢した歌手(カストラート)が意味されないことは明らかです。