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結婚愛 156b

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(七)もはや二つではなく、一つの肉であるという主のことばによって意味される結婚による霊魂の結合と心の結合について

156b 男と女は創造から、一つのものの中にあるような結合の性向と能力もまた植え付けられていること、それら両方のものが男と女に依然として内在することは、「創造の書」から、また同時に主のことばから明らかです。
「創世記」と呼ばれる「創造の書」の中に読まれます、

神エホバは、肋骨を人間から取り出し、女として建造された。彼女を人間へ連れて来られた。人間は言った、「今や、私の骨から骨、また私の肉から肉。これの名前はイシャと呼ばれる、これがイシュ(男)から取り出されたからである」――このために男は自分の父と自分の母を見捨て、自分の妻に結びき、一つの肉になる(2:22–24)。

同様に、主もまた「マタイ福音書」で言われました――

あなたがたは読んでいないのですか? 初めから男と女を造られた方は……「このために、人間は父と母を見捨て、自分の妻に結びつき、二つのものは一つの肉になる。それゆえ、もはや二つではなく、しかし一つの肉である」と言われたことです(19:4, 5)。

[2]これらから、女が男から創造されたこと、また両方のものにそれ自体を一つのものの中に再結合させる性向と能力があることが明らかです。一つの人間の中に〔再結合されること〕は、「創造の書」からもまた明らかであり、そこに両方のものが一緒に「人間」と呼ばれています。というのは、読まれるから、

神は人間を創造したその日に……彼らを男と女に創造し……彼らの名前を人間と呼ばれた(創世記5:1, 2)。

そこに「彼らの名前をアダムと呼ばれた」と読まれます、しかし、アダムと人間はヘブル語で一つの言葉です――なおまた両方の者が一緒に人間と呼ばれています(そこの1:27, 3:22–24)。一つの肉によってひとりの人間もまた意味され、そのことは、みことばでそこに「すべての肉」と言われている箇所から明らかであり、そのことによってすべての人間が意味されます(例えば、創世記6:12, 13, 17, 19。イザヤ40:5, 6, 49:26, 66:16, 23, 24, エレミヤ25:31, 32:27, 45:5, エゼキエル20:48, 21:4, 5, また他の箇所に)。
[3]けれども女として建造された「男の肋骨」によって何が、その代わりにふさがれた「肉」によって何が、このように「私の骨からの骨、また私の肉からの肉」によって何が、男が結婚の後、捨てた「父と母」によって何が、また「妻と結びつくこと」によって何が意味されるか、それは『天界の秘義』の中に示されています、そこには二つの書、「創世記」と「出エジプト記」が霊的な意味に関して説明されています。
「肋骨」によって肋骨が、「肉」によっても肉が、「骨」よっても骨が、そして「結びつく」ことによって結びつくことが意味されていません、しかし、それらに対応する霊的なものが意味され、そこに示されています――二つのものからひとりの人間をつくる霊的なものが意味されることは、結婚愛が彼らを結合し、その愛が霊的なものであることから明らかです。
男の知恵への愛が妻の中に移されることは、前に何度か、言われており、これに続く章で、さらに十分に論証(確認)されます。今や、ここに示された主題から立ち去り、このように脇道へそれることことは許されません、それらはふたりの配偶者が霊魂と心の結合によって一つの肉へと結合することについてです。
しかし、この結合を次の順序で明らかにします――

(1) 創造から両方の性に能力と性向が、一つのものとして結合されることができるように、欲するように植え付けられている。
(2) 結婚愛は、二つの霊魂を、ここから心を一つのものへ結合する。
(3) 妻の意志はそれ自体を男(夫)の理解力に、ここから男(夫)の理解力は妻の意志に結合する。
(4) 妻のもとに男(夫)を自分自身に結合させるための性向が変わらずに、永続的にある、しかし男(夫)のもとに一定でなく、交替的である。
(5) 妻から彼女の愛にしたがって男(夫)に結合が吹き込まれ、彼の知恵にしたがって男(夫)により受け入れられる。
(6) その結合は結婚の最初の日々から連続的に行なわれ、真の結婚愛にいる者のもとで永遠に深くまた深く行なわれる。
(7) 夫の理性的な知恵との妻の結合は内部から、しかしその道徳的な知恵との妻の結合は外部から行なわれる。
(8) 目的としてのその結合のために、妻に夫の情愛を知覚することが、そしてまた抑制する最高度の思慮分別が与えられている。
(9) 妻はこの知覚を自分自身のもとにたくわえ、夫から隠している、結婚愛・友情・信頼のために、このように同棲の至福と生活の幸福が確実にされるために必要品であるという理由のためである。
(10) この知覚は妻の知恵である。これは男(夫)のもとにありえない、男(夫)の理性的な知恵も妻のもとにありえない。
(11) 妻は、男(夫)を自分自身に結合させるつもりで、自分に向けられる彼の性向について常に考えている。男(夫)は異なっている。
(12) 妻は、男(夫)の意志の願望に向けて適応させて、自分自身を男(夫)に結合する。
(13) 妻は、自分の愛から出るそのいのちのスフェアによって、自分の男(夫)に結合される。
(14) 妻は、男のその力を自分のものにすることによって夫に結合される。しかし、このことは彼らの霊的な相互愛にしたがって生じる。
(15) このように、妻は自分の夫の映像を自分自身の中に受け入れ、ここから知覚し、彼の情愛を見、感じる。
(16) 男(夫)に固有の本分があり、妻に固有の本分がある。妻は男(夫)の固有の本分に、男(夫)も妻の固有の本分に入ることができず、それらを正しく果たすことができない。
(17) それらの本分もまた相互の助けにしたがって、ふたりをひとりに結合する。同時に一つの家をつくる。
(18) 夫婦は、前に言われた結合にしたがって、ますますひとりの人間になる。
(19) 真の結婚愛にいる者は、自分たち自身を結ばれた人間に、一つの肉のように感じる。
(20) 本質的に眺められた真の結婚愛は、霊魂の合体、心(mens)の結合であり、胸の中のまたここから身体の中の結合へ向かう活動(努力)である。
(21) この愛の状態は、無垢・平和・静けさ・最内部の友情・完全な信頼、そして、他の者にすべての善を行なおうとするアニムス(気質)と心(cor)の相互の願望である。それらのすべての至福・幸せ・快さ・快楽から、またこれらの永遠の享受から、天界の幸福がある。
(22) これらは、ひとりの妻とひとりの男(夫)の結婚の中でないなら、決して存在することができない。

今からこれらの説明を続けます。