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結婚愛 161

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161 (5) 妻から彼女の愛にしたがって男(夫)に結合が吹き込まれ、彼の知恵にしたがって男(夫)により受け入れられる
 愛とここからの結合が妻から夫(男)に吹き込まれていることは、今日、夫(男)たちに隠されています、それどころか一般的に彼らから否定されています。その理由は、「妻たちは、夫(男)たちだけが愛する、自分たち自身は受けること」、または、「夫(男)は愛である、自分たち自身は従順であること」を確信させるからです。夫(男)たちがそのように信じる時、〔妻たちは〕心から嬉しがります――このことを彼らに確信させる多くの原因があります、それらは妻たちの思慮分別と慎重さのすべてのものであり、それらについて何らかのものを続きの中で、特に「夫婦の間の冷淡・分離・離婚の原因について」の章で言います。
 愛を吹き込むことまたはしみ込ませることが、妻たちから夫(男)たちへであることは、夫(男)たちのもとに結婚愛は何もなく、性愛でさえ何もなく、妻と女たちだけのもとにあるからです。そのようであることは、霊界で私に生きいきと示されました――

[2]かつて、ここ〔霊界〕でこの事柄について会話があった、そして男(夫)たちは、妻たちからの信念から、妻たちでなく自分たちが愛すること、しかし、妻たちは愛を自分たちから受けることを主張した。
 この秘義〔について〕の論争が解決されるために、男(夫)たちからすべて女が、妻たちと一緒に、また同時にそれらともに性愛のスフェアそのものが遠ざけられた。それらが遠ざけられて、男(夫)たちはまったく未知の以前に決して感じられなかった状態の中にやって来た、そのことから大いに不平があった。
 その中にいた時、彼らに女たちが、また夫たちに妻たちが連れて来られ、そして彼女たちが優しく彼らに話しかけた。しかし、彼女たちのおべっかに対して冷たさの〔感情が〕ひき起こされ、背き、自分たちの間で言った、「これは何か?女とは何か?」
 また、ある者たちが、彼らの妻たちであることを言ったとき、彼らは答えた、「妻とは何か? 私たちはあなたがたを知らない」。
 しかし、妻たちが夫たちのこのまったくの冷たい無関心について悲嘆し、ある者が泣き始めたとき、今まで男(夫)たちに取り去られていた女の性愛のスフェア、結婚のスフェアが回復された。その時、男(夫)たちに直ちに前の自分の状態が戻った、結婚を愛する者たちはその中に、性を愛する者はその中に〔戻った〕。
 このように、男(夫)たちは、彼らのもとに住む結婚愛が何もない、性愛でさえ何もない、しかし妻と女たちだけのもとに住むことを確信させられた。
 しかしそれでも、その後、妻たちは自分の思慮分別から、愛が男(夫)たちのもとに住むこと、また何らかのその火花が彼女たちから自分自身の中に移ることができると信じることを男(夫)たちに、ひき起こした。

[3]この経験がここに示されたのは、妻たちが愛であり、男(夫)は受け入れるものであることが知られるためです。
 男(夫)は自分自身のものと知恵にしたがって、特に宗教から、妻だけを愛さなくてはならないことにしたがって、受け入れるものであることは、このことから、妻だけが愛されるとき、愛は集中させられ、高貴なものにもされ、その力強さにとどまり、持続し、存続することが明らかです。そのことはそうでなければ、小麦が穀物倉から犬に投げ捨てられる時のようになり、ここから家に欠乏が生じるでしょう。