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結婚愛 183

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19  アドラマンドーニ(結婚愛の歓喜)と呼ばれた婚礼の庭園について、そこで結婚愛の流入についての談話があった

183 (第二のメモラビリア——)
東の方位に、らせんの輪の位置にシュロの木と月桂樹からの木立が、私に見られた。
私は近づき、入った。ある種のらせんの中を回って導かれる道を歩き、道の終わりに庭園を見た、それは木立の中央となっていた。〔そこを〕分けていた小橋があり、そこに木立の側からの門と庭園の側から門があった。私は近づいた、門が守衛により開かれた。私は、庭園の名前は何か彼に質問した——「アドラマンドーニすなわち結婚愛の歓喜」と言った。
私は入った、見よ、オリーブの木、そしてオリーブの木とオリーブの木の間にブドウのつるが走り、垂れ下がり、それらの下に、それらに間に花を咲かせた灌木があった。その中央に、草におおわれた丸い場所があった、その上に夫と妻たちが、そして若者たちと乙女たちが、ふたりずつ座っていた。土が盛り上がった丸い中央に、そこに小さな泉が勢いある水流から高く湧き出ていた。
私が輪の近くにいたとき、私は紫色と緋色の服のふたりの天使たちを見た、その者たちは草の上に座っているとき、結婚愛の起源について、その歓喜について話していた。その愛についての会話であったので、熱心な傾注と十分な受け入れがあり、ここから、天使たちの話しの中に愛の火からのような高揚があった。
[2]私は、彼らの会話から、要約してこれを推断した——
結婚愛の起源を調べることのむずかしさについて、その知覚することのむずかしさについてあらかじめ言われた、その起源は神的天的なものであるからである、というのは、神的愛・神的知恵・神的役立ち、それら三つのものは一つのもののように主から発出し、ここから一つのものとして人間の霊魂へ流入し、霊魂を通って彼らの心へ、そこに内的な情愛と思考へ、これらを通って身体に近い欲望へ、またこれらから胸を通って生殖の領域へ、そこに最初の起源からのすべての派生物が、一緒に存在し、派生物と一緒に結婚愛をつくっているからである。
これらの後、天使たちは言った、「話しのやりとりを質問と答えによってしましょう。聞くことだけから吸収した事柄の知覚は、確かに流入します、しかし聞く者もそれらについて自分自身から考え、そして質問しないなら残らないからです」。
[3]その時、その結婚した者の集まりからのある者は天使たちに言った、「私たちは、結婚愛の起源は、主から人間の霊魂への流入からであるので、神的天的なものであること、また、愛・知恵・役立ちであることは主からであるので、それらは三つの本質的なものであり、それらは一緒に一つの神的な本質をつくっている、それ以外にその方の神的な本質である他のものは発出することができないこと、そして人間の霊魂と呼ばれる彼の最内部へ流入すること、それら三つのものは身体へ降る中で、類似したものと対応したものに変えられることを聞いた——そこで、私たちは、今や、最初に質問する、「役立ちと呼ばれる発出する神性の第三の本質的なものによって何が意味されるのか?」
天使たちは、役立ちなしに愛と知恵は単なる抽象的な思考の観念であり、さらにまたそれらは心の中でいくらかの時の経過の後、風のように過ぎ去ることを答えた。「しかし、それら二つのものは役立ちの中で集められ、そこに一つのものを生じ、それは実在するものと呼ばれます。愛は〔何かを〕行なっていないなら休むことができません、というのは、愛はいのちの活動原理そのものであるからです、知恵も〔何かを〕行なっている時、愛からまたその愛ともにでないなら、存在し、存続することができません、そして行なうことは役立ちです。それゆえ、私たちは、愛から知恵によって善を行なうことを役立ちと定義づけます。役立ちは善そのものです。
[4]それら三つのもの、愛・知恵・役立ちは、人間の霊魂へ流入するので、すべての善は神からであると言われることがどこからであるか、明らかにすることができます。というのは、知恵を通して愛から行なわれるすべてのものは善と呼ばれ、役立ちもまた行なわれるからです。
知恵のない愛は、ある種の愚かなものでないなら何ですか? また、知恵とともに愛は、役立ちなしに、心の状態でないなら何ですか?
しかし、役立ちと一緒の愛と知恵は人間をつくるだけでなく、人間でもあります——それどころか、おそらく、あなたがたは驚かされるでしょう、〔それらが〕人間を繁殖させます。なぜなら、男の精子の中に、自然の最も純粋なものからの実体(物質)でおおわれ、それらから母の子宮の中で身体が形成される人間の完全な形としてその霊魂があるからです。この役立ちは神的知恵を通して神的愛の最高の役立ちそして最終的な役立ちです」。
[5]最後に天使たちは言った、「これが結論です、すべての結実・すべての繁殖・すべての生殖は、起源的に、人間の霊魂への主からの直接の流入から、動物の霊魂への間接的な流入から、植物の最内部へのさらに間接的な流入から、主からの愛・知恵・役立ちの流入からであり、これらすべてのものが最初のものから最後のものに生じることです。
結実・繁殖・生殖が創造の継続であることは明らかです。というのは、創造は、神的役立ちの中で神的知恵を通して神的愛から以外の他の源泉から存在することができないからです。それゆえ、全世界のすべてのものは、役立ちから、役立ちの中へ、役立ちへ向かって、生まれ、形成されます」。
[6]その後、盛り上がった草地に座っている者が天使たちに質問した、「無数であり、言い表わせない結婚愛の歓喜はどこからか?」
天使たちは、愛と知恵の役立ちからであること、そのことから、だれかが本物の役立ちのために賢明になることを愛せば愛するほど、それだけ結婚愛の流れと力の中にいる、と見られることができること、またこれらの二つのものの中にいればいるほど、それだけ歓喜の中にいることを答えた。「役立ちがこのことを行ないます、愛は知恵を通して互いに楽しみ、あたかも幼児のように遊ぶからです。また、成長するにつれて、機嫌よく互いに結合します。これはあたかも婚約式・結婚式・結婚・繁殖のように、連続的に、変化とともに永遠に生じます——これらは愛と知恵の間で、内的に、役立ちの中で生じます。しかし、それらの歓喜はその始まりの中で知覚されることができません、しかしここから段階を通って降り、身体へ入るほど、ますます知覚できるものになります。段階を通って人間の霊魂から心の内的なものへ、これらからその外的なものへ、またこれらから胸の内部に、これから生殖の領域へ入ります——
[7]そして、霊魂の中のその天界的な結婚の遊びは人間に少しも知覚されません、しかし、ここから心の内的なものの中に平和と無垢の外見の下に、心の外的なものの中に至福・幸せ・快さの外見の下に、けれども、胸の内部に最内部の友情の歓喜の外見の下に、生殖の領域の中に霊魂からまでも途切れない流入から、歓喜の中の歓喜のような結婚愛の感覚そのものとともに徐々にしみ込みます。霊魂の役立ちの中のその愛と知恵の結婚の遊びは胸の内部に向けて発出する中で残存し、その内部で歓喜の無限の変化の下に、それ自体を感覚でとらえられるようになり、生殖の領域との胸の内部の驚くべき伝達のために、そこに結婚愛の歓喜の歓喜を生じます、それは天界と世に存在するすべての歓喜にまさり、高められます。その理由は、結婚愛の役立ちはすべての役立ちに最もまさっているからです、というのは、ここから人類の繁殖が、人類から天使の天界の繁殖があるからです」。
[8]これらに天使たちは、役立ちのために主から賢明になる愛の中にいない者は、無数の歓喜の変化について真の結婚愛のものである何らかのものを知らないことを加えた。「というのは、本物の真理から賢明になることを愛さず、虚偽から狂うことを愛し、この狂気から何らかの愛から悪の役立ちを行なう者のもとに、霊魂への道が閉ざされるからです。ここから、霊魂の中の愛と知恵の遊びの天界的な結婚は、ますますさえぎられて、それらの結婚愛と一緒に、その流れ・力・歓喜とともに、終わりになります」。
これらに、聞いている者たちは、「結婚愛は役立ちのために主から賢明になる愛にしたがっていることを知覚する」と言った。
天使たちはそのようであることを答えた。
その時、ある者の頭の上に花からできた花冠が見られ、彼らは質問した、「このことは、なぜ?」
天使たちは答えた、「彼らがさらに深く理解したからです」。
その時、彼らは庭園から去った、彼らの真ん中にこれらの者〔花冠をかぶった者〕がいた。