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結婚愛 216a

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216a (6) 真の結婚愛にいる者は結婚の中に永遠を眺める。けれども、結婚愛にいない者はそうではない
 真の結婚愛にいる者は永遠を眺めます、その愛の中に永遠があるからです。そしてその永遠はここからです――その愛が妻のもとに、また知恵が夫のもとにあり、永遠に増大し、そして増大または進歩の中で、夫婦は深くまた深く天界の至福の中へ入るからです、この至福を彼らの知恵とその愛が同時にそれ自体にたくわえています。それゆえ、もし永遠の観念が引き離されるなら、または何らかの偶然から心からすべり出すなら、彼らは天界から投げ落とされるようになります。
[2]永遠の観念が彼らの心から奪われ、そしてその代わりに一時的なものの観念が生じる時、結婚の状態が天界でどのようであるか、次の経験から、私のもとで公けの場所にやって来ました――

 かつてふたりの夫婦が許可を与えられて天界から私にやって来た。その時、ある〔役に立たない〕やくざ者によって悪賢しく語られて、彼らから結婚について永遠の観念が取り去られた。それが取り去られ、嘆き悲しみ始めて、「もはや生きることができない、以前に決してなかった苦悩を感じる」と言った。それが知覚されて、天界の仲間の天使から、やくざ者は遠ざけられ、投げ落とされた――これが行なわれて、直ちに、彼らに永遠の観念が戻った。そのことから、心が喜びで喜ばされ、そして極めて優しく互いに抱擁した。
[3]このことの他に、私は、ふたりの夫婦から自分の結婚について、時には永遠の観念を、時には一時的なものの観念を抱いたことを聞いた。その理由は、彼らに内なる相違が内在したからである――これらの者は永遠の観念の中にいたとき、互いの間で喜んだ、しかし、一時的なものの観念の中にいたとき、「もはや、結婚ではありません」、また妻は、「私はもはや妻ではありません、めかけです」、そして男は、「私はもはや夫ではありません、姦通者です」と言った。それゆえ、彼らに内なる相違が開かれた時、男は女から、女は男から去った。しかし、その後、両者は結婚について永遠の観念にいたので、似ている仲間に加わった。

[4]これらから、真の結婚愛にいる者が永遠を眺めていること、もしこれが最内部から、思考からすべり出すなら、同時にどれほど友情に関して分離していなくても、結婚愛に関して分離されることを、はっきりと見ることができます。というのは、前者〔結婚愛〕は内なるものの中に、けれども後者〔友情〕は外なるものの中に宿るからです。
 地上の結婚でも同様です――そこの夫婦は、互いに優しく愛している時、〔結婚の〕約束について永遠を考え、そしてまた死によるその終わりについて何も考えません。もしこれについて、悲しんでも、死後、それが継続する思いから希望で元気づけられます。