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結婚愛 215

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215 (5) 真の結婚愛にいる者はひとりの人間であることを絶えず欲する。しかし、結婚愛にいない者はふたりであることを欲する
結婚愛は、その本質では、ふたりが一つであることを欲すること、すなわち、二つのいのちが一つのいのちになることを欲すること以外の他のものではありません――その意志はその愛の永続するコナトゥス(努力)であり、それからそのすべての効果が流れ出ます。
コナトゥス(努力)が運動の本質そのものであること、また意志が人間のもとの生きているコナトゥス(努力)であることは、哲学者の研究から確証され、そしてまた熟考する者に理性から引き出されたものであることが明らかです。ここから、真の結婚愛にいる者は、絶えず努力する、すなわち、ひとりの人間であることを欲する、ということになります。
結婚愛にいない者のもとに反対のものがあることは、彼ら自身がよく知っています。その者は、霊魂と心の分離から、絶えず自分たち自身をふたりと考えています、それゆえ、主のことば、「 もはや二つではなく、一つの肉である」(マタイ19:6)によって何が意味されるのかわかりません。