カテゴリー

結婚愛 230

229◀︎目次▶︎231

230 (21) 結婚愛の不足や失うことにしたがって、人間は獣の性質に近づく
 〔この〕論拠は、人間は結婚愛にいればいるほど、それだけ霊的であり、霊的であればあるほど、それだけ人間であるからです。というのは、人間は死後の生活へ生まれているから、彼に霊的な霊魂が内在し、人間はこれへ自分の理解力の能力によって上げられることができるからです。もしその時、彼の意志がそれにも与えられた能力から上げられるなら、死後、天界の生活を送ります――もし結婚愛に反した愛の中にいるなら、正反対です。なぜなら、この〔愛の〕中にいればいるほど、それだけ自然的であり、単に自然的な人間は、その性欲・食欲・快いものに関して獣に似たものであるからです――そのとき、彼らに理解力が霊的な光の中に上げられる能力があり、そしてまた意志が天界の愛の熱の中に上げられる能力がある、という相違だけがあります。これらの能力は決して人間から取り去られません――そのために、単に自然的な人間は、たとえ、彼らの性欲・食欲・快いものに関して獣と似たものであっても、それでも、死後、生きます、しかし、以前に過ごした生活に対応する状態の中で生きます――これらから、投げ落とされた結婚愛にしたがって、獣の性質へ近づくことを明らかにすることができます。
 これらは、結婚愛の不足や失うことが彼らのもとに存在し、それでもなおその者は人間であるので矛盾しているように見られます――しかし、〔これは〕淫行愛から結婚愛を無価値にし、このようにその〔結婚愛の〕不足と失うことの中にいる者についての見解です。