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結婚愛 267

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26 世のすべてのものを所有する愛の中にいる者について

267 (第二のメモラビリア——)
ある時間を隔てた後、私はある木立へ入り、世のものを所有する欲望とここからの幻想の中にいる者について熟考しながらそこを歩いた。その時、私からある距離に、自分たちの間で会話し、時々、私を眺めているふたりの天使が見られた。それゆえ、私は近くに近づいた、すると〔その天使たちが〕近づいている私に話しかけて、言った、「私たちの間で、私たちは、私たちが話しているものをあなたが熟考していることを、すなわち、熟考しているものを話していることを知覚しました、それは相互の情愛の伝達からです」。
そこで私は、何を話しているか質問した。
彼らは言った、「幻想・欲望・知性についてです。今は、世のすべてのものの所有の幻想と想像から自分自身を喜ぶ者についてです」。
[2]その時、私は、欲望・幻想・知性について、それらの三つのものについて自分の心(mens)を明らかにするよう請い求めた。
すると談話を始めて、それぞれの者が出生から内的に欲望の中に、しかし、教育から外的に知性の中にいること、だれも知性の中に、まして内的に知恵の中に、そのように霊に関して、主からでないなら、いないことを言った——「というのは、すべての者は欲望から悪に保たれ、そして主へ目を向けることにしたがって知性の中に、同時に、その方との結合に保たれるからです。それなしに人間は欲望でしかありません——しかしそれでも、この者は外的なものの中で、すなわち身体に関して、教育から知性の中にいます。というのは、人間は名誉と富をすなわち卓越と富裕をほしがるからです。これら二つのものは、道徳的にまた霊的に、そのように知性的にまた賢明に見られないなら獲得されません。そして、そのように見られることを幼児期から学びます。それが、人間の間にまたは集団の中にやって来るとすぐに、自分の霊をひっくり返し、そしてそれを欲望から遠ざけ、幼児期から教わった礼儀作法や似つかわしいことから、身体の記憶の中に保持したものから、話し、行動する理由です。また、狂気の欲望から何らかのものが、その〔狂気の〕中に彼の霊がいて、流れ出ないようにそれを最大限に用心します。
[3]ここから、内部で主から導かれていないすべての人間は、偽る者・追従者・偽善者であり、このように人間に見られますが、それでも人間ではありません。それらの者について、〝彼の殻(外皮)または身体は賢い、そして彼の仁(種)または霊は狂っている〟と言われることができます。なおまた、彼の外なるものに人間性、そして内なるものに野獣性があります。このような者は後頭部で上方を、前頭部(額)で下方を眺めます。そのように、重苦しさにとりつかれているかのような顔つきで、地へ向けて下方へ頭をたれて歩きます——彼らは、身体を去り、霊となる時、解放され、自分の狂気の欲望を行ないます。なぜなら、自己愛にいる者は、全世界の上に支配することを、それどころか、彼のその境界を、支配の拡大へ向けて広げることを望み、決して終わりを見ないからです。
世俗愛にいる者は、そのすべてのものを所有することを望み、そして、ある者の宝庫に、ある者のもとにたくわえられて隠されているなら、苦しみ、ねたみます。それゆえ、このような者が欲望だけのもの、このように人間でないものにならないように、名声が奪われ、このように名誉と利益が奪われることの恐れから、そのようにまた法律とその罰への恐れから考えることが彼らに自然界で与えられ、そしてまた心を、何らかの関心または働きへ振り向けることが与えられ、それによって外なるものの中に、このように知性の状態の中に、どれほど内的に正気を失って狂っていても保たれます」。
[4]これらの後、私は、欲望の中にいるすべての者は、自分の幻想の中にもいるのか質問した。
天使たちは、「彼らは自分の欲望の幻想の中にいること、自分自身と話して、内的に自分自身の中で考え、度を越えた自分の想像にふけります」と答えた。「というのは、これらの者は自分の霊をほとんど身体との結びつきから分離し、幻から知性を水でおおい、愚かにも、自分自身を、全世界を所有するかのように楽しませるからです——自分の霊を身体から引き離し、精神錯乱の楽しみから戻ることを欲しなかった人間は、死後、この精神錯乱に入れられます。〔その者は〕悪と虚偽について宗教から何らかのものを考えても、主への愛を破壊するものである抑制のない自己愛については、そして隣人に対する愛を破壊するものである抑制のない世俗愛については、その何らかのものを最小限にしか考えません」。