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結婚愛 281

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281 (10) 自然的な人のもとで、結婚のこれらの模倣は、いろいろな原因のために、思慮分別からの賢明なものである
ひとりは霊的である、けれども、もうひとりは自然的であるふたりの夫婦の間で、霊的な者によって霊的なものを愛する者が、このように主から賢明である者が意味されます、また自然的な者によって、自然的なものだけを愛する者が、このように自分自身から賢明である者が意味されます。
それらのふたりの夫婦が交わる時、霊的な者のもとの結婚愛は熱く、自然的な者のもとで冷たいものです。熱と冷たさが一緒に存在することができないこと、また熱は冷たさの中にいる者を、冷たさが最初に追い散らされないなら燃え上がらせることができないこと、冷たさも熱の中にいる者の中に、熱が最初に取り去られなければ、流入することができないことは明らかです。ここから、内部の愛は霊的な者と自然的な者の夫婦の間にありえません。しかし、前節に言われたように、内部の愛を模倣したものが霊的な配偶者の側から存在することができます。
[2]しかし、ふたりの自然的な夫婦の間に内部の愛はありえません、両方が冷えているからです。もし熱いなら、好色なものからです。これらの者は、それでもなおやはり、アニムスで分離しながらも一緒に住むこと、そしてまたどれほど心が互いに一致していなくても、自分たちの間の愛と友情のような顔つきを映し出すことができます――これらの者のもとの外なる情愛は、それらの大部分は富と所有物(財産)、または名誉と地位であり、熱望することができるようなものです。その熱望は、それらが奪われることに対する恐れをひき起こすので、それゆえ、結婚の見せかけが彼らに必要なものです、特に、それらは次に示されているものです((15)~(17)節)。これらとともに列挙されている残りの原因は、霊的な人のもとの原因と何らかの共通なものを持つことができます、それらについては前に見られます(280番)、しかし自然的な人のもとの思慮分別が知性から賢明であるかぎりそれを持つことができます。