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結婚愛 294

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30 女の思慮分別について、同じ妻たちから

294 (第二のメモラビリア——)
数日後、再び私はバラ園の中のそれらの7人の妻たちを見たが、以前と同じバラ園の中にではない。
みごとなバラ園であり、それに類似したものを私は以前に決して見たことがなかった。円形であった、そしてバラがそこに虹のように弓形を作っていた。紫色のバラまたは花がその最外部の輪を、そして金色の黄色の他のものが最も近い内側を、そしてこの内を紺青色の他のものが、そして明るい緑色または輝く緑色のバラまたは花が最内部の輪を作っていた。この虹のバラ園の内に澄んだ水の小さな池があった。
以前に泉の処女と呼ばれた七人のそれらの妻たちは、そこに座って、窓の中に私を見て、再び自分のもとへ呼んだ——私が近づいたとき、「あなたはこれまで地上でさらに美しいものを見ましたか?」と言った。私は言った、「決してありません」。
すると言った、「このようなものは主により瞬間に創造され、それは地上の何らかの新しいものを表象します、なぜなら、主により創造されるすべてのものは〔何かを〕表象するからです。しかしこれが何か、もしあなたにできるなら、推測しなさい。私たちは、結婚愛の歓喜を推測します」。
[2]これを聞いて、私は言った、「結婚愛の歓喜とは何ですか? あなたがたは、以前にそれらについて知恵から、そしてまた能弁から、これほどに多くのものを話しました。
その後、私はあなたがたから立ち去り、私はあなたがたの談話を、私たちの地域の中に滞在している妻たちに語りました。私は教えられて、今では知っている、と言いました、あなたがたにあなたがたの結婚愛から出てくる胸の歓喜があること、それらをあなたがたの夫たちに彼らの知恵にしたがって伝えることができ、それゆえ、あなたがたの夫たちをあなたがたの霊的な目で絶えず朝から夕まで熟視すること、そして知恵へ彼らの心(アニムス)を向け、それらの歓喜を(あなたがたが)獲得する目的のために導くことです——さらにまた私は、知恵によって何をあなたがたが理解しているか話しに出しました、それは霊的理性的な知恵と道徳的な知恵です——また結婚に関して、妻だけを愛することへ向かう、他の女へ向かうすべての欲望を取り去ることへ向かう知恵です——しかしこれらに、私たちの地域の妻たちは笑いとともに答えて、言いました、『このことは何ですか。それら言われたものはつまらないものです——私たちは何が結婚愛か知りません。何らかのものが夫たちにあるにしても、それでも私たちには何もありません——その時、私たちのもとの彼のその歓喜はどこからですか? それどころか、あなたがたが最外部のものと呼ぶ歓喜を、時々、私たちは手荒く拒みます、というのは、私たちに不愉快なものであり、ほとんど強姦でしかないからです——それどころか、もしあなたが留意するなら、私たちの顔の中にそのような愛のしるしを見ないでしょう——それゆえ、もしそれらの七人の妻たちとあなたが、朝から夕までも、私たちの夫たちについて、絶えず彼らのえり好みと自由な選択に向けて彼らからこのような歓喜を得るために(私たちが)留意している目的のために私たちが)考えている、と話すなら、あなたはばかげたことを話しているかまたは冗談を言っています』。
私は彼女たちの言ったことを心に留めました、それらの言葉を私が話すためであり、泉の近くであなたがたから私が聞き、またそれほどに熱心に私が吸収し、そしてまた私が信じたことに、〔あなたがたが〕反感を抱き、そしてまた談話にまったく逆らうであろうからです」。
[3]これらにバラ園に座っている妻たちは答えた、「友よ、あなたは妻たちの知恵と思慮分別を知りません、夫たちにそれらをまったく隠しているからです、それらを、愛されるためだけの目的のために隠します——というのは、霊的でなく単に理性的に自然的また道徳的であるだれにでも、その男(夫)に、妻へ向けて冷淡があるからです。これは彼のもとの最内部の中に隠れています——これを賢明なまた用心深い妻は敏感にまた鋭く気づきます、またそれだけ自分の結婚愛から隠し、そして胸の中に引っ込め、そこに、その最小のものも顔の中に、音声の中にも、素振りの中にも見られないようにこれほどに深くしまい込みます——その理由は、見られれば見られるほど、それだけそこに住んでいる結婚の男の冷淡が彼の心の最内部からそれ自体を彼の最外部の中へ注ぎ出し、そして全身が冷たくなることをひき起こし、ここから寝床からまた寝室からの分離の努力があるからです」。
[4]その時、私は質問した、「あなたがたは結婚の冷淡と呼ぶそのような冷淡がどこからですか?」
〔彼女たちは〕答えた、「霊的なものの中での彼らの狂気からです。霊的なものの中で狂っているすべての者は、妻に向けて内部で冷たく、淫婦に向けて内部で温かいです——結婚愛と淫行愛はそれ自体に対立しているので、淫行愛が温かい時、結婚愛は冷淡を生じることがいえます——男は、自分のもとで冷淡が支配するとき、何らかの愛の感覚に、このように何らかのそのそよぎに耐えません——それゆえ、妻はこれほどに賢明にまた用心深くそれを隠し、否定し、拒絶して、それを隠せば隠すほど、それだけ男は娼婦のスフェアの流れ入るものから元気づけられ、回復されます——ここから、このような男の妻には私たちにあるような胸の歓喜はありません、しかし単に快楽があり、それは男の側から狂気の快楽と呼ばれるべきものです、淫行愛の快楽であるからです。
[5]すべての貞潔な妻は、不貞な妻もまた自分の夫を愛します——しかし知恵がもっぱら彼の愛を受け入れるものであるので、それゆえ、妻はすべての努力を、彼の狂気を知恵に変えるために、すなわち、自分自身のほかに他の女をほしがらないように、ついやします。このことを、何らかのものが男から見つけられないよう最大限に用心して千もの方法で行ないます、なぜなら、愛が強制されることができないこと、しかし自由の中で徐々に入り込むことをよく知っているからです——それゆえ、妻たちに視覚・聴覚・触覚から、自分の男たちの心(アニムス)のすべての状態を知ることが与えられています。しかし、逆に、男たちに、自分の妻たちの心(アニムス)の状態を何も知ることが与えられていません。
[6]貞潔な妻は、男(夫)を厳しい顔つきで眺め、荒っぽい声で話しかけ、そしてまた、怒ることやけんかすることができます、それでもなお、やはり、心の中で彼に対する優しいまた柔らかい愛を抱くことができます。しかしそれらの怒りの状態や偽装は知恵を目的として持っています。ここから夫のもとの愛を受け入れることは、すぐに和解することができることからはっきりと明らかです。さらに、妻たちは、彼女たちの心にそして髄に植え付けられた愛を隠すために、男のもとの結婚の冷淡は突発しません、そしてまた彼の淫行の熱の炉〔の火〕を消すような、このように緑の木を乾いた丸太にしないような手段があります」。
[7]それらの7人の妻たちがこれらをまた同様の多くのものを話した後、彼女たちの夫たちが手にしたブドウの房とともにやって来た、それらのあるものは上品な味、あるものは忌まわしい味だった。妻たちは言った、「なぜ、あなたがたは悪いブドウの房、すなわち、野ブドウの房もまた携えているのですか?」
夫たちは答えた、「私たちは私たちの霊魂の中で、あなたがたの霊魂と結合していることを知覚したからです、その男と真の結婚愛について話したこと、その歓喜は知恵の歓喜であったこと、そしてまた淫行愛について、その歓喜は狂気の快楽であったこと——前者は上品な味のブドウの房です、けれども、後者は忌まわしい味の、すなわち、野ブドウの房です」。
また、彼らは自分たちの妻たちの話しを確認し、狂気の快楽は外なるものの中で知恵の歓喜と似たものに見える、しかし内なるものの中でそうではない、と言い足した。「まったく善いブドウの房と悪いブドウの房のようです、それらを私たちが携えてきました。というのは、貞潔な者にも不貞な者にも外なるものの中で似た知恵がありますが、内なるものの中で、まったく異なっています」。
[8]この後、再び小さい少年が紙を手にしてやって来て、「読みなさい」と言って、私に差し出した。私はこれらを読んだ——
「結婚愛の歓喜は最高の天界へ上り、そしてそれ自体を途中で、そこで天界のすべての愛と結合させ、このように永遠に存続するそれ自体の幸福へ入ることを知りなさい。その理由は、その愛の歓喜は知恵の歓喜でもあるからです。
そしてまた、淫行愛の快楽は最適の地獄までも降り、そしてそれ自体を途中で、そこで地獄のすべての愛の快楽と結合させ、そしてこのように、心のすべての快さに代わって苦悩であるそれ自体の不幸へ入ることを知りなさい。その理由は、その愛の快楽は狂気の快楽でもあるからです」。
この後、夫たちは妻たちとともに立ち去り、小さい少年が天界へ上る道まで同行した——彼らは、新しい天界の社会から遣わされ、その社会に地上の新しい教会が結合されるであろうことを知った。