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結婚愛 315

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31 討議:何が霊魂か、それがどんなものか

315 (これらに私は二つのメモラビリアを加えます、最初のものはこれ——)
かつて私は私から遠くないところに大気現象を見た——小さい雲に分かれた雲を見た、それらのあるものは空色あるものは暗い色だった。互いに衝突しているかのように見た。細い帯の光線がそれらを輝き貫き、それはある時は切っ先のように鋭く、ある時は折れた剣のように鈍く見えた。それらの光線は、ある時は向かい合って伸び、ある時は引っ込み、完全に拳闘家たちのようであった。そのようにそれらのいろいろな色の小さな雲は、互いに闘っていたかのように見えた、しかし遊んでいた。
この大気現象は私から遠くないところに見られたので、私は目を上げ、そして目を鋭く注ぎ、少年・若者・老人を、家の中に入っている者たちを見た、その家は大理石から、土台は班岩から造られていた。この家の上方にその現象があった。
その時、入っていく者たちからのある者に話しかけて、私は質問した、「ここに何があるのですか?」
答えた、「学校である、そこで若者たちが知恵に属するいろいろなものの中で手ほどきされる」。
[2]私はこれを聞いて、彼らと入った。私は霊の中に、すなわち、霊と天使たちと呼ばれる霊界の人間がいるのと似た状態の中にいた。見よ、その学校の中に前部に特別席が、真ん中に長椅子、まわりの脇に座席、入り口の上方に天井さじき(貴賓席)が見られた——特別席は、示されようとしているその討議の議題に答える若者のためにあった、長椅子は聴衆のために、脇の座席は以前に賢明に答えた者のために、天井さじき(貴賓席)は判断し、判定する者である長老のためにあった。天井さじきの中央に演壇があり、そこに校長と呼ばれる賢明な男が座り、その者は討議の議題を示し、それへ特別席の若者が答える。
その後、〔彼らが〕集められ、演壇から男が立ち上がり、言った、「今、私は〝何が霊魂か、それがどんなものか?〟この討議の議題に向けて尋ねる、もしあなたがたができるなら、それを解き、答えよ」。
[3]これらを聞いて、すべての者は驚き、つぶやいた。長椅子の上の集団から、ある者は叫んだ、「人間のだれが、黄金時代(サートゥルヌスの時代)からこの私たちの時代まで、何が霊魂か、ましてそれがどんなものか、理性のどんなものも思考で見ることまた把握することができたか? これはすべての者の理解力の領域の上にあるのではないのか?」
しかしこれらに天井さじきから言い返された、「これは理解力の上方にない、しかしその中に、その前にある。ただ答えよ」。
その日に選ばれて、特別席に上がり、討論の議題に答えようとする若者たちが、立ち上がった。五人いた、その者は長老たちにより探し出され、そして賢明さを授けられている者であると見つけられ、その時、座席の脇に、列の上に座っている者であった。これらの者はその後、順にのぼって、その上に座った。だれもが上るとき、オパールのような色の絹でできたシャツを、その上に柔らかな羊毛のトーガを着せられた、それに花〔模様〕が織り込まれていた、ほかに帽子〔を被せられ〕、そのてっぺんに小さいサファイアで取り囲まれたロザリオ〔のような飾り〕があった。
[4]私は、そのように着せられ、上る最初の者を見た、その者は言った——「霊魂とその性質が何か、創造の日からだれにも啓示されていない。神の宝庫の中だけにある秘義である——しかし霊魂は人間の中で女王のように住んでいることが明らかにされている、けれども、その宮殿がどこにあるか、学者たちは根拠を推測した。ある者は、松果体と呼ばれる大脳と小脳の間の小さな結節の中にあることを、この中に霊魂の座を想定した。その理由は、人間全体がこれらの二つの脳から統制されていて、その結節がそれらを制御するからである。それゆえ、脳が意のままに制御する、これは人間全体もまた頭からかかとまで制御する」——また、言った、「ここから、このことは真理またはもっともらしいもののように世の多くの者に見られた、しかし時代の後、このことは作り事として捨てられた」。
[5]これを言い終わった後、トーガ・シャツ・帽子を脱ぎ、それらを選ばれた者たちからの第二の者が受け入れ、そして座席に入った。
霊魂についてのこの者の発言は、天界全体に、また世界全体に、霊魂とその性質が何か知られていないことであった。
「これがあること、人間の中にあることが知られている、しかしどこに〔あるの〕か推測されている。これが頭の中にあることは確実である、そこでは理解力(知力)が考え、意志が意図する、また頭の正面方向の顔の中に、人間の五感があるからである。これらやそれらに、別の者は、頭の中の内部に住んでいる霊魂以外に、いのちを与えない。しかし、その集会所がそこのどこにあるか、あえて発言しないが、私は、脳の三つの脳室の中に、ある時にはそこの線条体の中に、ある時には両方の脳の髄質の中に、ある時には皮質の中に、ある時には硬膜の中に座を割り当てた者に同意した、というのは、それぞれの座に対しての確信からの白色の小石(=賛成票)を欠いていなかったからである。
[6]脳の三つの脳室に対する小石(賛成票)は、それらが霊魂精気と脳のすべてのリンパ液の容器であることからであった——線条体に対する小石(賛成票)は、これらが髄質をつくること、それによって神経が出る、それによって両方の脳が脊柱の中に続けられ、これらから繊維が突出する、それらから身体全体が構成されるからであった——両方の脳の髄質に対する小石(賛成票)は、それがすべての繊維の集めることと積み重ねであること、それらは人間全体の最初の段階であるからであった——皮質に対する小石(賛成票)は、そこに最初のものと最後のものの目的があること、ここからすべての繊維の始まり、このように感覚と運動があるからであった——硬膜に対する小石(賛成票)は、それらは両方の脳の共通のおおいであること、ここからある連続するものによってそれ自体を、心臓の上に、また身体の内臓の上に伸ばしているからであった。
私に関しては、私は、あるものが他のものよりもよいと判断しない——どうぞ、あなたがたが、何が好ましいものか判断し、選びなさい」。
[7]これらを言って、座席から降り、第三の者に、シャツ・トーガ・帽子を渡した。その者は座席に上がって、これらを話した——
「若者の私に、このように高尚な論証とともに何が〔あるのか〕?私はここに脇へ座っている学者へ訴える、私は天井さじきの中のあなたがたに、賢明な者に訴える、それどころか、私は最高の天界の天使に訴える、だれが自分の理性的な光から霊魂について何らかの観念を自分自身に得ることができるのか——しかし、人間の中のその座について私は他の者のように表明することができる。私は、心臓とここから血の中にあることを表明する。私のこの表明は、心臓がその血によって身体と頭とを統制するからである。というのは、大動脈と呼ばれる大きな血管を全身に送り出す、そして頸動脈と呼ばれる血管を頭全体の中に送り出すから。ここから、霊魂は心臓から血によって、(身体の)器官の全組織を、身体も頭も維持し、滋養物を与え、生かしていることが普遍的に同意されている——この信念の主張に向けて、聖書に「霊魂と心臓(心)」がこれほど何度も言われているという事実がある、例えば、あなたは神を「全部の霊魂から、また全部の心(心臓)から」愛さなければならないこと。神は人間の中に「新しい霊魂と新しい心(心臓)」を創造することである(申命記6:5, 10:12, 11:13, 26:16、エレミヤ32:41、マタイ22:37、マルコ12:30, 33、ルカ10:27また他の箇所に)。そして、あからさまに、血は肉の霊魂であること〔が述べられている〕(レビ記17:11, 14)」。
これらを聞いて、ある者は、「学者らしい、学者らしい」と言って、声を上げた。聖職者からであった。
[8]この後、この衣服を着た第四の者が、特別席に入って、言った——
「私もまた、何が霊魂か、その性質が何か、吟味することができるような、それほどに透徹したまた鋭利な才気がだれにもないのかと疑念を抱く。それゆえ、私は思う、それ〔霊魂とその性質〕を調べることを欲する者のもとに、不必要に精妙なもの(微妙な議論)が浪費されている。しかしそれでも、子供時代から私は古代人の抱いた見解に対する信念にとどまった、人間の霊魂はその全体の中に、またこの全部の部分の中に、このように頭の中にも、その個々のものの中に、身体の中に、その個々のものの中にあることである。それに対してどこかに、またどこかにでもなく、座を定めることは現代の著述家により考え出された空虚なことである。霊魂は霊的な実体でもあり、それについて拡大も場所も属性づけられない、しかし住むことと充満〔が属性づけられる〕。さらにまた、霊魂のことを言う時、〔その〕いのちは全部の中に、またどんなものでも部分の中にあるいのちを、だれが理解しないか?」
これらを聞いて、講堂の中の多くの者が賛同した。
[9]この後、第五の者が立ち上がった、そして同じ装飾で飾って、特別席からこのことを言い表わした——
「霊魂がどこにあるか、何らかの部分の中にか、あるいは全部の中のどこにでもか、これを言うことを私は気にしない。しかし私の蓄えと倉庫から、私は、何が霊魂か、それがどんなものかについて心を開く。
霊魂はある者により、何か純粋なもののようにしか考えられていない、それはエーテルまたは空気または風になぞらえられる、その中に推理力からの生命力がある、それは獣よりも人間にある。
私は、この見解を、人間は最期の息を吐く時、霊魂または霊を出すことまたは息を出すことが言われることの上に建てた。ここからもまた、死後に生きている霊魂はこのような息(発散気)であることが信じられ、その中に思考力のあるいのちがあり、それは霊魂と呼ばれる。他の何が霊魂であることができるのか?
しかし私は、霊魂についての討議の議題、霊魂は何か、その性質が何であるか、理解力の上方になく、その中に、その前にあることを、天井さじきから言っているのを聞いたので、私は、この永遠の秘義をあなたがた自身が明らかにするよう求め、願う」。
[10]天井さじきの中の長老が討議の議題を示した校長を覗き込んだ、校長は〔その〕身振りから、下り、教えるよう欲していることを理解した。直ちに、彼は講壇から下り、講堂を通り抜け、特別席に入り、そこで手を伸ばして、言った。「どうぞ、聞きなさい。霊魂が人間の最内部の最も鋭敏な本質(エッセンス)とエッセ(存在)であることを、だれが信じないか? しかし、何らかの形なしの本質とは、創造の所産以外の何か?
それゆえ、霊魂は形である、しかし、形がどんなものであるか言われなければならない——愛のすべてのものと知恵のすべてのものの形である。愛のすべてのものは情愛と呼ばれ、知恵のすべてのものは知覚と呼ばれる——それらからまたそれらとともにこれらは一つの形をつくる、その中に無数のものが一つの存在物(個体)と呼ばれることができるような秩序・連鎖・密着性の中にある。一つの存在物(個体)と呼ばれることができる、そのようなものであるために、ここから何らかのものを取り去ること、それへ何らかのものを加えることもできないからである——このような形でないなら、何が人間の霊魂か? 愛のすべてのものと知恵のすべてのものがその形の本質的なものではないのか、これらが人間のもとに、霊魂の中に、霊魂から、頭と身体の中にある。
[11]あなたがたは霊や天使と呼ばれている。あなたがたは世で、霊や天使は風またはエーテル、このように心とアニムスのようであることを信じた。今や、はっきりとあなたがたは、真に、実際に、事実上、人間であることを見る、その人間は、あなたがたが物質的な身体の中で生き、考えた世で、あなたがたが、物質的な身体が生きない、考えないと知った、しかしその身体の中の霊的な実体が〔生き、考えたと知った〕、これをあなたがたは霊魂と呼び、その形を知らなかった、それでも今、あなたがたは見てきた、また見ている。あなたがたは、すべての者は霊魂であり、それらの不死性についてこのように多くのものを聞き、考え、言い、書いた。あなたがたは神からの愛と知恵の形であるので、永遠に死ぬことができない。
そこで、霊魂は人間の形であり、それについて少しも取り去ることができない、それに加えることもできない、そして最内部の形、身体全体のすべての形である。外にある形は、最内部のものから本質と形とを受けるので、それゆえ、あなたがたは、あなたがたと私たちの前に見られているように、霊魂である。一言でいえば、霊魂は、最内部の人間であるので人間そのものであり、それゆえ、その形は十分に、完全に人間の形である。けれども、いのちではなく、神からのいのちの最も近い容器、このように神の住まいである」。
[12]これらを聞いて、多くの者は拍手喝采したが、ある者たちは、「熟考してみよう」と言った。
私は、その時、家へ去った。見よ、その学校の上方に、以前の大気現象の場所に、互いに争って闘う細い帯または光線はなく、白く輝く雲が見られた。その雲が屋根を貫通して入った、そして壁を照らした。私は〔そこに〕書かれたものが見られたことを聞いた、そして他の〔書かれた〕ものの間にこれもあった、

神エホバが……人間の鼻にいのちを息(霊魂)を吹き込まれた、人間は生きている霊魂となった(創世記2:7)。