カテゴリー

結婚愛 314

313◀︎目次▶︎315

314 (18) 連続的な秩序と同時的な秩序が存在し、前者から後者があり、前者にしたがっているからである
このことを、前の箇所を確かなものとする原因として示しておきます。
連続的なものがあり、同時的なものがあることがよく知られています。しかし、同時的な秩序が連続的な秩序からであり、これにしたがっていることは知られていません。けれども、どのように連続的なものがそれ自体を同時的なものにもたらすか、どのような秩序をそこに形作るか、知覚へ向けて示すことはきわめてむずかしいです、そのことを明らかにするために学者のもとにある何らかの観念がまだ役立ってないからです――また、この秘義についての最初の観念は、わずなかものによってもたらされることができません、そしてここに詳細にその観念をもたらすことは、結婚愛についてさらに開けた視覚から心を遠ざけるからです。説明のためには、連続的なものと同時的なもの二つの秩序について、それらの流入について、『新しいエルサレムの教え 聖書について』の中に十分に役立つことのできるものがあります、そこから引用して要約したものはこれらです――

[2]「天界と世に連続的な秩序と同時的な秩序が存在する。
連続的な秩序の中で、最も高いものから最も低いものまで、一つのものの後ろにもう一つのものが続く。けれども、同時的な秩序の中で、最内部から最外部まで、一つのものがもう一つのもののすぐ近くにある。
連続的な秩序は最も高いものから最も低いものまで段をもった柱のようである。しかし、同時的な秩序は中心から表面へと密接に結合した作品のようである。
この様式で、連続的な秩序は最後のものの中で同時的な秩序になる――連続的な秩序で最も高いものは、同時的な秩序で最内部のものになる。そして連続的な秩序で最も低いものは、同時的な秩序で最外部のものになる。段のある柱が沈んでできるような、平面の中で密接に結合している物体にたとえられる。
このように同時的なものは連続的なものから形作られる。このことは霊界のすべてと個々のものの中で、そして自然界のすべての個々のものの中で〔そのようである〕」
(そこの38, 65番参照。またこれらの非常に多くのものについて『神の愛と知恵』205–229番参照)。

[3]結婚に向けての連続的な秩序と結婚での同時的な秩序も同様です。すなわち、前者から後者があり、前者にしたがっていることです。
同時的な秩序の中の連続的な秩序を知る者は、天使たちが人間の手の中に彼の心の思考と意図のすべてを見ることができること、そしてまた、妻たちが自分の胸の上の夫たちの手から彼らの情愛を感じることの理由を把握することができます――その事柄への言及を、数回、メモラビリアの中で行ないました。その論拠は、手が人間の最外部のものであり、その中に彼の心が考えたものと結論に達したものが確定されていて、そしてそこに同時的なものをつくっているからです――それゆえ、みことばの中でも、「手に刻まれている」と言われています。