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結婚愛 342

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342 (9) イスラム教徒の天界がキリスト教徒の外にあり、それは低いものと高いものの二つの天界に分割されている。めかけを退け、ひとりの妻と生活し、天地の支配が与えられている私たちの主を父なる神と等しい方と認める者しか彼らの高い天界に上げられない
 これらについて何らかのものが細部にわたって言われる前に、イスラム教の出現に関して主の神的摂理について何らかのものがあらかじめ言われることが重要です。
 この宗教がキリスト教よりも多くの王国により受け入れられていることは、神的摂理について、キリスト教徒に生まれた者よりも救われることができないと考え、同時に〔そのように〕信じている者に、つまずきの石であることができます。しかし、イスラム教は、すべてのものは神的摂理のものであること信じる者に、つまずきの石ではありません。これらの者はどこにあるか探求し、そしてまた見つけます。
 このことの中にあります――イスラム教は、私たちの主を、最も賢い人間、最大の預言者としても、その方を人間を教えるために世にやって来た神の子として認めていることです。しかし、クルアーンだけを自分たちの宗教の本とし、ここからそれを書いたムハンマドが彼らの思考に居座ったので、彼を何らかの礼拝で捜し求め、それゆえ、私たちの主についてほとんど考えません。
 その宗教が主の神的摂理から、多くの国民の偶像崇拝を除くために起こされたことが十分に知られるために、何らかの順序で、それゆえ、最初に偶像崇拝の起源について言います。
[2]その宗教の前に、地球全体に偶像崇拝の礼拝がありました。
 その原因は、主の来臨の前の教会はすべて表象的な教会であったからです。イスラエル教会もまたそのようなものでした。そこの幕屋・アロンの衣服・いけにえ・エルサレムの神殿のすべてのもの、そしてまた法令は表象でした――また、古代人のもとに対応の知識がありました、それもまた表象であり、特にエジプト人により発達した知識の中の知識そのものであり、これらの者の象形文字はここからです。
 彼らはその知識から、すべての種類の動物が何を、なおまたすべての種類の木が何を、そのようにまた山・丘・川・泉が何を、そのようにまた太陽・月・星が何を意味するか知りました。その知識によって、彼らにも霊的な認識がありました。表象されるものは、天使のもとの霊的な知恵のものであるので、それらが起源でした。
[3]さて、彼らのすべての礼拝は、対応そのものから成り立っている表象的なものであったので、それゆえ、山や丘の上で、そしてまた杜や庭園の中で、礼拝を持ちました。それゆえ、泉を神聖なものとしました、また崇拝の中で東の太陽へ顔を向けました。そのうえ、馬・牛・子牛・子羊、それどころか鳥・魚・ヘビの彫像をつくり、これらを家に、また他のところに、それらに対応した、すなわち、それらを表象した教会の霊的なものにしたがって順に置きました――さらにまた同様のものを自分の神殿の中に、それらが意味する礼拝の聖なるものを記憶の中に呼び戻すために置きました。
 時の〔経過の〕後、対応の知識が消し去られた時、子孫が、彫像そのものを本質的に聖なるものとして、彼らの父祖である古代人がそれらの中に見た何らかの聖なるものを見ず、聖なるものを表象し、意味したことを知らないで、しかし単に対応にしたがって、礼拝することを始めました。
 これらから、偶像崇拝が起こり、それらが地球全体に、アジアも、周囲の島ともに、アフリカ・ヨーロッパにも満ちました。
[4]すべてのそれらの偶像崇拝が根絶されるために、主の神的摂理から、東洋の者の性質に適合した新しい宗教が始められるようにされました。その宗教の中に、みことばの両方の契約からの何らかのものもまたありました、それは、主が世の中にやって来ること、その方は最大の預言者、すべての者の最も賢い者、神の子であったことを教えました。
 このことは、ムハンマドによって行なわれ、その者からその宗教は〔ムハンマドの宗教と〕呼ばれました。
 これらから、この宗教が主の神的摂理から起こされたこと、そして言われたように、東洋の者の性質に適合したことが明らかです。このように多くの国民の偶像崇拝を除き、そして死後に、霊界にやって来る前に、主についての何らかの認識を与える目的のためです――その宗教は、彼らの観念に適合しなかったなら、このように多くの王国から受け入れられず、そこの偶像崇拝を根絶できませんでした。特に、一夫多妻が許されなかったなら、さらにまた、東洋の者はその許しなしに、ヨーロッパ人よりも不潔な姦淫の中に燃え立ち、滅んだであろうという理由からです。