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結婚愛 345

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345 (10) 一夫多妻は好色である
 その愛が多くの者の間に分割されている性愛であり、そして外なる人すなわち自然的な人の愛であり、このように、ひとえに貞潔が存在する結婚愛ではないからです。
 一夫多妻の愛が多くの者の間に分割されていることは、よく知られています。そして、分割された愛は結婚愛ではありません、というのは、この愛は〔異〕性からのひとりに分けられることができません、ここからその愛が好色であり、一夫多妻は好色です。
 一夫多妻の愛は性愛であり、数に関して制限されていて、それを一夫多妻者は自分のものにすることができます。また、公共の善のために結ばれたある種の法律によって抑制されていて、なおまた、妻にめかけをさらに加えることが許されています。このことだけで〔一夫多妻の愛と性愛が〕異なります。このように性愛であるので、好色な愛です。
[2]一夫多妻の愛が、外なる人すなわち自然的な人の愛であることは、その人間に刻み込まれているからです。人間が自分自身から行なうどんなものでも悪であり、内なる霊的な人へ高揚されないなら、その悪から連れ出されません、そのことは主おひとりにより行なわれます。そして自然的な人に内在する性へ向かう悪は淫行です。しかし、これは社会を破壊するので、その淫行に代わって似ているものが導き入れられ、それは一夫多妻と呼ばれます。
 すべての悪は、人間はその中へ両親から生まれていて、彼の自然的な人に植え付けられています、けれども、何らかの霊的な人に植え付けられていません、主からこの霊的な人に生まれているからです。
 〔ここに〕示され、そしてまた他の論拠の多くのものから、一夫多妻が好色であることがはっきりと見られることができます。