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結婚愛 353

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35 自己の思慮分別について

353 (これらに私は二つのメモラビリアを加えます、最初のものはこれ——)
かつて私は天使たちの真ん中にいて、彼らの談話を聞いた。
談話は知性と知恵についてであった。
人間は両方とも自分自身の中にある、このように何でも理解力から考えまた意志から欲するものが、自分自身からであるとしか知覚しないこと。そのときそれでも、それらを受け入れる能力を別として、それらは神からの理解力と意志のものであり、その最小のものも人間からでないこと。すべての人間は出生から自分自身を愛することへ向けて傾いているので、人間が自己愛から、また自己知性からの高慢から滅びないように、男のその愛が妻の中に移されるように、また妻に出生から、自分の男の知性と知恵を、このように男を愛するよう植え付けられていることが創造から備えられている。それゆえ、妻は絶えず自分の男の自己知性からの高慢を自分自身に引きつける、そしてそれを彼のもとで消滅させ、それを自分自身のもとで生かし、このようにそれを結婚愛へ変え、そしてそれを無制限に楽しさで満たす——自己知性からの愛であったヘビが、言い、説きつけたように、自己知性からの高慢が男を、主からでなく自分自身から理解することが賢明であることを信じるように、このように善悪の知識の木から食べることを欲し、ここから自分自身を神と等しい、そしてまた神と信じるほどにまで、のぼせあがらせないように、このことが主により備えられた。それゆえ、人間は、食べることの後、楽園から追い払われ、ケルブによっていのちの木への道が守られた——霊的には、楽園は知性である。霊的には、いのちの木から食べることは主から理解し、賢明になることである。そして霊的には、善悪の知識の木から食べることは自分自身から理解し、賢明になることである。