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結婚愛 365

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365 (5) 善の愛の熱意はその内なるものの中に愛と友情を隠している、しかし、悪の愛の熱意はその内なるものの中に憎しみと復讐を隠している
 熱意は外なるものの中で、善の愛の中にいる者のもとでも、悪の愛の中にいる者のもとでも、怒りと憤りのように見られることを言いました。しかし、内なるものは異なるので、怒りと憤りもまた異なります。以下のようにです――

(ⅰ) 善の愛の熱意は天界の炎のようであり、それは決して他の者の中に突発しない、しかし、ただそれ自体を守るだけであり、悪が火の中に乱入し、焼かれる時のように、それ自体を悪に対抗して守る――しかし、悪の愛の熱意は、地獄の炎のようであり、それはそれ自体から突発し、突進し、他の者を滅ぼすことを欲する。
(ⅱ) 善の愛の熱意は、他の者が攻撃から去る時、直ちに燃え尽き、和らぐ。しかし、悪の愛の熱意は、持続し、消えない。
(ⅲ) その原因は、善の愛の中にいる者の内なるものは、本質的に、穏やかで、優しく、友好的また好意的であるからである。それゆえ、外なるものがそれ自体を守るために厳しくし、ひだになり、立ち、そのように手荒く振る舞う時、それでも、彼の内なるものがその中にある善から和らげられる。悪い者のもとで異なる。これらの者のもとで、内なるものは、敵意・残酷・無情であり、憎しみと復讐をしたがり、それらの快さからそれ自体を養っている。たとえ和解されても、それでもそれは灰の下の木材の中に火のように隠れている。これらの火は、もし世で突発しないなら、それでも、死後に突発する。