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結婚愛 406

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406 幼児への愛と子どもへの愛が霊的な者のもとでどんなものか、自然的な者のもとでどんなものか、死後の彼らからはっきりと把握されました――というのは、大部分の父たちはそこにやって来る時、彼らの前に死んだ自分の子どもを思い出し、そしてまた居合わす者が示され、相互に認めるからです。
 霊的な父たちは単に彼らを眺め、どんな状態の中にいるか質問し、もし彼らに善くあるならうれしがり、もし悪くあるなら悲しみます。また、天界の道徳的な生活について何らかの会話・教育・忠告の後、彼らから互いに分かれ、そして分かれる前に、主が天界のすべての者の唯一の父であることをその方のことばにしたがって(マタイ23・9)、もはや父として思い出されてはならないこと、自分たちも、子どもとして、決して思い出されないことを教えます。
 けれども、自然的な父たちは、自分自身が死後に生きていることを認めると直ぐに、自分の記憶に彼らの前に死んだ子どもを呼び戻し、そしてまた、欲望からの願いで居合わすことが示され、直ちに結合され、結ばれた束にように密着します。そして、その時、父は絶えず彼らの外見から、また彼らとの会話から楽しみを与えられます。
 父に、彼のそれらの子どもからのある者がサタンであること、善良な者に危害を加えることが言われても、それでもなお、彼らを、自分のまわりの群衆の中に、または自分の面前の群れの中に保ちます。損害を加え、悪を行なうことを自分自身で見ても、それでもそれらに決して心を向けないし、ある者を自分自身から引き離しもしません。それゆえ、このような有害な集団が存続しないように、強制(必要性)から、一緒に地獄へ追放され、そしてそこで父は子どもの前で牢獄に閉じ込められ、それぞれの者が自分の生活の場所へ追い払われます。