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結婚愛 425

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425 (2) 淫行愛は結婚愛に対立している
 全世界に、対立するものがないものは何も存在しません、そして対立するものは互いに関連するものの間に存在しないで、正反対のものです――関連するものは同じ事柄の最大のものと最小のものの間にあります、しかし正反対のものはそれらに対する対立するものからであり、これらは互いに対立するように互いに関連したものです。それゆえ、関連するもの自体もまた対立するものです。
 すべてと個々のものにその対立するものがあることは、光・色・世の時間・情愛・知覚・感覚、また他の多くのものから明らかです。
 光と対立するものは暗黒であり、熱と対立するものは冷たさであり、世の時間で対立するものは昼と夜、夏と冬です。情愛で対立するものは楽しさと嘆き、そして喜びと悲しみです。知覚で対立するものは善と悪、そして真理と虚偽です。感覚で対立するものは快さと不快です。
 〔これらの〕明白なすべてのものから、結婚愛にその対立するものがあることを結論することができます。
 これが姦淫愛であることは、もし欲するなら、(内なる声から)命令されたすべての健全な理性からだれもが見ることができます――もしよろしかったら、その対立した別のものが何であるか言ってください。
 加えれば、健全な理性はその光からこのことをはっきりと見ることができるので、それゆえ、その理性は、結婚に味方して、また姦淫に反対して、市民の公正なものと呼ばれる法律を制定しました。
[2]対立するものであることを、さらにはっきりと明らかにするために、私がしばしば霊界で見たことを物語ることが許されています。
 自然界で確信した心から姦淫者であった者は、天界から流れ下る結婚愛のスフェアを知覚する時、直ちに、あるいは洞穴の中に逃げ去り、隠れるかあるいは、もしそれに対して頑固に振る舞うなら、激怒でいらいらさせられ、鬼(怨霊)のようになります。
 そのようになるのは、情愛のすべての快いものと不快なものがそこに知覚されるからです、時々、においのように、このようにはっきりと嗅覚で知覚されます、というのは、このようなものを吸収する彼らの物質的な身体がないからです。
[3]けれども、淫行愛と結婚愛の対立が自然界の多くの者に知られていないのは、肉の快さからです、外観上、それは外なるものの中で結婚愛の快さと似ており、快さだけの中にいる者は、それらの対立するものについて何らかのものを知りません――そして、もしあなたがたが、「物事のどんなものにもその対立したものがある」と言い、「結婚愛にもまたその対立するものがある」と結論するとき、姦淫者たちは、「その愛に対立したものはない。淫行愛は、どんな意味でもその愛からそれ自体を区別しないからである」と答えるであろうことを私は推量することができます。
 そのことから、結婚愛がどんなものであるか知らない者は、淫行愛がどんなものであるか知らないこと、さらにまた、結婚愛がどんなものであるか淫行愛からは知られないこと、しかし、前者から後者が知られることが明らかです。だれも悪から善を知りません、しかし、善から悪を知っています。というのは、悪は暗黒の中にあります、けれども、善は光の中にあるからです。