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結婚愛 442

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442 (16) 淫行愛の快感は狂気の快楽である、しかし、結婚愛の快感は知恵の歓喜である
 淫行愛の快感が狂気の快楽であることは、その愛の中にいる自然的な人以外の他の者になく、そして自然的な人は霊的なものの中で狂っているからです、というのは、それに対立しているから、そして、それゆえ、自然的・感覚的・身体的な快感だけを抱くからです。
 快感が自然的なもの・感覚的なもの・身体的なものであることが言われました、自然的なものは三つの段階に区別されるからです。最も高い段階にいる自然的な者は理性的な視覚から狂気を見ます、それでも、小舟が小川の流れからのように、それらの快さにより運ばれます。さらに低い段階にいる自然的な者はただ身体の感覚だけから見て、判断します、そして、外観と欺きに反する理性的なものを踏みにじり、糸くずのように退けます。最も低い段階にいる自然的な者は、判断なしに、自分の身体の熱で誘惑的なものにより運ばれます。これらの者が、身体的な自然的な者、その前の者が感覚的な自然的な者、けれども、最初の者が自然的な者と呼ばれます。
 淫行愛、その狂気と快楽も、彼らのもとに同様の段階があります。