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結婚愛 452

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452 (7) 結婚愛を目指し、これを優先させるほど、私通は軽いものである
 善の性質に段階があるように、悪の性質に段階があります。それゆえ、それぞれの善がより善く、最も善いように、それぞれの悪は軽い、また重いものです。
 私通も同様です、それは情欲であり、そして自然的な人にまだ清められていないものであるので悪です。しかし、すべての人間は清められることができるので、それゆえ、清めの状態へ近づけば近づくほど、それだけその悪は軽い悪になります、なぜなら、それだけぬぐい取られるからです。そのように私通は、清められた性愛の状態である結婚愛に近づくかぎり〔そうなります〕。私通の悪は姦淫愛に近づくかぎり重いことが次節に見られます。
[2]私通が結婚愛を目指すかぎり軽いのは、そのとき不貞の状態から貞潔な状態を目指す中にいるからです。また優先させればさせるほど、それだけ理解力に関してもまたその中にいます、またそれを優先させるだけでなく、しかし、さらにまたさらに愛せば愛すほど、それだけ意志に関して、このように内なる人に関してもその中にいます。その時、私通は、もしそれでもなおその中で続けるなら、彼に必要であり、その原因は彼のもとの調査〔したもの〕の中にあります。
[3]結婚の状態を優先させ、さらにまた愛する者のもとの私通が軽いことには、有効である二つの論拠があります――第一のものは、彼らに結婚生活が目標・意図、すなわち、目的であることです。第二のものは、自分自身のもとの悪を善から分離していることです。
 第一のものについては、彼らに結婚生活が目標・意図、すなわち、目的です、人間は、自分の目標・意図、すなわち、目的の中でそのような人間であるからです、そしてまた、主の前と天使の前でそのような者です、それどころか、世の賢明な者の前でもまたそのような者に見られます。というのは、意図はすべての行動の霊魂であり、そして、世で批難を、弁解を、また死後、転嫁を引き起こすからです。
[4]第二のものに関して、結婚愛を私通の情欲に優先させ、悪を善から分離する者は、そのように不貞を貞潔から〔その知覚そして意図を分離するからです〕。また善または貞潔の中にいる前に、それらの二つの知覚と意図を分離する者は、結婚の状態の中にやって来る時、その情欲の愛からもまた分離され、清められます。
 私通の中で姦淫を目指す者に、そのように生じないことは、今から続く節で見られます。