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結婚愛 475

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475 (11) 適法な・正当な・重大なほんとうの原因から、このめかけ囲いにいる者は、結婚愛にいることができる
同時に結婚愛にいることができる、そして、この愛を自分自身のもとに隠して保つことができることが意味されると言われます。なぜなら、その愛は、主体の中で、その中にいて、滅びない、しかし、休んでいるからです。
結婚をめかけ囲いよりも優先させ、〔それでも〕前述の原因からめかけ囲いに入る者のもとの結婚愛が保存されることに、これらの原因があります――このめかけ囲いは結婚愛に反感を抱かない、それからの分離ではない、単にそのヴェールでおおうことであり、このおおいは彼らから、死後、取り除かれることです。

(ⅰ) そのめかけ囲いが結婚愛に反感を抱かないことは、前に立証されたものから、そのめかけ囲いが、適法の、正当な、真に重大な原因から行なわれる時、許されないものではないことからいえる(467–473番)。
[2](ⅱ) そのめかけ囲いが結婚愛からの分離ではない。なぜなら、適法な・正当な・真に重大な原因が間に介在し、説得し、強いる時、結婚愛は結婚と分離されない、しかし、単に中途妨害されるからである。そして、中途妨害され、分離されていない愛は、主体の中に残る――この者は愛した職務にいる、またそれから、交際によって、あるいは観劇によって、あるいは旅行によって離されている、それでも職務への愛は滅んでいない者と似ている。そして、銘酒を愛する、それでも、高貴でないものを飲む時、優良銘柄に対してほしがる味覚が滅んでいない者と似ている。
[3](ⅲ) そのめかけ囲いが結婚愛を単にヴェールをおおうことであるのは、めかけ囲いの愛が自然的なもの、結婚愛が霊的なものであり、そしてこの愛が中途妨害される時、自然的な愛が霊的な愛をおおうからである。そのようであることを、愛する者は知らない、霊的な愛はそれ自体から感じられないからである、しかし、自然的なものによって、そしてその中に天界からの祝福がある快さとして感じられる。しかし、自然的な愛はそれ自体によって単なる快さのように感じられる。
[4](ⅳ) このおおいが、死後、取り除かれることは、その時、人間は自然的なものから霊的なものになり、物質的な身体のかわりに霊的な身体が授けられ、その中で霊的な快さからの自然的な快さが、その卓越の中で感じられるからである。

このようであることを、私は、霊界のある者との伝達から、自然界で真に重大な原因からめかけ囲いにいた王たちからも聞きました。