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続 最後の審判について 8

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(2)最後の審判の前とその後の世と教会の状態について

8 最後の審判が霊界の中でなし遂げられたことは、今や、前述されたことから明らかにすることができます――しかし、その前とその後の世と教会の状態について何らかのものが知られるために、これらがすべて知られなければなりません――

(1)過ぎ去った「前の 」と「前の地」によって何が意味されるか(黙示録21:1)。
(2)「前の天」と「前の地」にいた者は、だれであり、どんなものであったか。
(3)最後の審判が彼らに行なわれる前に、天界と世の間の、そのようにまた主と教会の間の多くの伝達は妨害された。
(4)最後の審判の後、伝達は回復された。
(5)ここから、最後の審判の前にでなく、その後に、新しい教会のために啓示がなされる。
(6)最後の審判の前に世と教会の状態は夕と夜のようであった。けれども、その後は朝と昼のようであった。


注釈
「前の天」について
ここから過ぎ去った「前の天(prior caelum)」の解説が始まります。『最後の審判』(2番66番以降)では「最初の天」(prium caelum)と言われており、これは同一のものです。どういうわけか、スヴェーデンボリは表記を変えています。なお、英訳では「前の天」は former heaven 「最初の天」は first heaven です。
ラテン語でこの違いは、比較級と最上級の違いであり、ギリシア原典(「黙示録」21:1)では最上級が使われています。それで字義どおりなら「最初の天」が正しいです。新改訳聖書は「以前の天」と訳しています。表記が異なるだけなので、統一するならスヴェーデンボリが後から用いた「前の天」がよいでしょう。