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信仰について 63

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63 (1) 仁愛から分離した信仰の中にいる者が、みことばの中で「雄ヤギ」によって意味されることは、霊界での経験から示される
霊界では自然界の中のすべてのものが見られます。家や宮殿が見られ、楽園や庭園、それとその中のすべて種類の木が見られます。畑や耕地、さらに平地や草地、牛の群れや羊の群れも見られます。すべてのものは、地球上にあるものと似ています。前者が霊的な起源からであり、後者が自然的な起源からであること以外に何の相違もありません。
それゆえ、自然的な起源からのものを見る人間と同じように、天使は霊的であるので、霊的な起源からのものを見ます。
[2] 霊界で見られるすべてのものは対応物です。というのは、天使と霊たちの情愛に対応するからです。
それゆえ、善と真理への情愛の中に、ここから知恵と知性の中にいる者は、対応する壮大な宮殿に住み、その周囲には木に満ちた楽園があり、そのまた周囲には畑や牛と羊の群れが伏せる平地があり、それらは外観です。
けれども、悪い情愛の中にいる者には正反対の対応物があります。彼らは、窓がなくそれでもそこには鬼火からのような光がある地獄の強制労働所に閉じ込められます、または荒地の中にいて、あばら屋に住んでいます。その周囲はすべて不毛の地であり、そこには彼らの悪に対応するヘビ・竜・フクロウ、その他多くのものがいます。
[3]天界と地獄の間に、霊たちの世界と呼ばれる中間の場所があります――ここへ、死後、すべての人間は直ちにやって来ます。そこには、地上の人間にあるような、相互の交際があります。そこには、対応するすべてのものも見られます。そこには、庭園・木立ち・樹木や潅木の森・花と緑の原も、また同時に、おとなしいものや獰猛なものなど、いろいろな種類の動物が、そのすべてのものが彼らの情愛の対応にしたがって見られます。
私はしばしばそこのヒツジと雄ヤギを、また彼らの間の闘争も見ましたが、その闘争は「ダニエル書」(第8章)に記述されているものに似ていました。
[4] 私は、前方にまた後方に曲がっている角をもつ雄ヤギがヒツジに激怒して突進するのを見ました。私は2つの角をもつ雄ヤギが、その角で激しくヒツジを突くのを見ました。それらはいったい何事かと私がよく見つめたとき、仁愛と信仰について彼らの間で口論している者たちを見ました。このことから、仁愛から分離した信仰が雄ヤギのように見られたこと、信仰が存在するもととなる仁愛がヒツジのように見られたことが明らかになりました。
これらのことを私はしばしば見たので、仁愛から分離した信仰の中にいる者が、みことばの中で「雄ヤギ」によって意味されることを確かな事実として知ることが与えられました。