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信仰について 66

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66 この幻が教会の将来の状態を予言していることははっきりと明らかです。なぜなら「長から常供のささげ物が取り去られた」「その方の聖所の住まいが投げ捨てられた」こと、また「雄やぎが真理を地に投げ捨てた」ことが言われ、さらに「聖なる者が、常供のささげ物や荒廃させる者のそむきの罪、聖所と軍勢を踏みにじることがあるという、この幻はいつまでか?と言った」、そしてこれに「夕と朝まで、その時、聖所は義とされる」という答えがあったことが言われているから――というのは「夕」によって、新しいものが存在する時の教会の終わりが意味されるからです。
その章の後ろにある「メディアとペルシヤの王」によって、「雄羊」と似たことが、また「ギリシヤの王」によって「雄やぎ」と似たことが意味されます。なぜなら、みことばの中の王、国民や民衆、さらに人物や場所の名前は、天界と教会の物事を意味するからです。