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信仰について 67

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67 それらの解説は次のものです――
その長いほうの角が後から生えてくる二つの角をもった「雄羊」は、仁愛から信仰の中にいる者を意味し、「角で東へ、西へと南の方へ突いた」ことは、悪と虚偽を追い散らすことを意味し、「高ぶった」ことは、増大を意味します。「雄やぎが西から全地の面の上を来る」は、仁愛から分離した信仰の中にいる者と彼らによる教会への侵入を意味します。「西」は自然的な人の悪です。「目と目の間に角をもった」は、プロプリウム(自己固有のもの)の知性を意味します。
「羊に強い怒りをもって突進した」は、仁愛とその信仰を猛烈に襲撃したことを意味し、「二つの角を折り、それを地に投げ出し、それを踏みにじった」は、仁愛と信仰とを完全に消散させたことを意味します。なぜなら、それらは一つとなっているので、一方を消散させる者はもう一方も消散させるからです。
「雄やぎの大きな角は折れた」ことは、自己知性からの外観がないことを意味し、「その代わりに四つの角が生えた」は、みことばの文字どおりの意味を適用して、確認することを意味します。
「その一つから小さい角が出た」は、だれも律法を成就することが、それと自分自身から善を行なうことができない論証を意味し、「その角は、南に向かって、東に向かって、美観に向かって大きくなった」は、そのことによって教会のすべてのものに反抗することを意味します。
「天の軍勢にまでも。軍勢を、星を、それらを踏みにじった」は、仁愛と信仰に属すものであった善と真理のすべての認識を、このように破壊したことを意味します。「軍勢の「君」にまでも自分を高めた、それで「その方」から常供のささげ物は取り去られ、「その方」の聖所の住まいは投げ捨てられた」ことは、主への礼拝とその方の教会のすべてのものがこのように荒らされたことを意味します。
真理を地に投げ捨てた」ことは、みことばの真理を虚偽化したことを意味します。
「夕と朝、その時、聖所は義とされる」によって、その教会の終わりと新しい教会の始まりが意味されます。