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主について11

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11 主が律法のすべてを成就されたことは、みことばのすべてを成就されたことであり、〔そのことは〕その方により聖書が成就したこと、またすべてのものが完了したことが言われている箇所から明らかです。例えば、これらから——

イエスは会堂に入り、読むために立たれた。その時、その方に預言者イザヤの書が手渡された。書を開き、書かれている所を見つけられた。「主の霊がわたしの上に〔ある〕。貧しい者に福音をもたらすために、わたしに油を注がれたのだから。心で砕かれた者を癒すために、束縛された者に解放の福音を、また盲人に視覚をもたらすために、主の喜ばしき年を宣言するために、わたしを遣わされた」。書を巻いて、その後……言われた……「今日、この聖書が、あなたがたの耳の中で成就しました」(ルカ4・16―21)。

聖書を調べなさい……それらはわたしについて証言しています(ヨハ5・39)。

聖書が成就されます——「わたしとともにパンを食べる者が、わたしにかかとを上げた」(ヨハネ13・18)。

滅びの子でないなら、彼らからだれも滅びません、聖書が成就されるためです(ヨハネ17・12)。
「あなたがわたしに引き渡した者からひとりも滅びないように」と〔イエスが〕言われたことばが成就するためであった(ヨハネ18・9)。

イエスは(ペテロに)言われた、「あなたの剣を〔もとの〕ところに納めなさい……。それゆえ、このように行なわれなければならないなら、どのように聖書が成就されますか?……このこと……全部が行なわれた〔のは〕、預言者の聖書が成就されるためです」(マタイ26・52、54、56)。

人の子は、その方について書かれているように去ります……聖書が成就されるためです(マルコ14・21、49)。

このように「不信心な者とともに見なされた」と言われている聖書が成就した(マルコ15・28。ルカ22・37)。

「彼らはわたしの着物を自分たちで分け、わたしの下着についてくじを引いた」という聖書が成就されるためであった(ヨハネ19・24)。

この後、イエスはすべてのことが今、完了したのを知って、聖書が成就されるために……(ヨハネ19・28)。

イエスは酢を受けたとき、「完了した」と言われた(ヨハネ19・30)、すなわち、成就したのです。  このことが起こったのは、「その方の骨をあなたがたは砕かない」という聖書が成就するためであった。再び、聖書の他のところに「彼らは〔自分たちが〕突き刺した者を見る」と言われています(ヨハネ19・36、37)。

ほかに他のところに、預言者の書からの箇所が示されます、〔そこでは〕律法すなわち聖書が成就したと同時には言われていません。

みことばのすべてがその方について書かれていて、そのことを成就するために世にやって来られたことは、世を去る前に弟子たちにもまた、これらのことばで教えられました、

イエスは弟子たちに〔言われた〕、「愚かな者たち。預言者たちの話したすべてを信じない心の鈍い者たち。キリストはこのことを苦しみ、栄光に入らなくてはならなかったのではないのか?」 さらに、モーセとすべての預言者から始めて、聖書のすべての中で、ご自分について……彼らに説き明かされた(ルカ24・25―27)。

さらに、

イエスは弟子たちに言われた、「まだわたしがあなたがたとともにいたとき、わたしがあなたがに話したことばはこれらです。わたしについてモーセと預言者と詩篇に書かれているすべてのことが成就されなければなかったことです」(ルカ24・44、45)。

主が、世で、みことばの最小の部分まですべてを成就されたことは、その方のこれらのことばから明らかです、

まことに、わたしはあなたがたに言います。天と地が通り過ぎるまで、律法についてすべてが成就するまで、一点一画でも過ぎ去りません(マタイ5・18)。

これらから、今や、はっきりと見ることができます、主が律法のすべてを成就されたことによって、十戒の戒めのすべてではなく、みことばのすべてを成就されたことが意味されることです。