主について33
33 (4) 主はご自分に許した試練によって、またその時、絶え間のない勝利によって人間性を神的なものにされた
このことは、前に述べました(12―14番)。それらに次のことだけを付け加えなくてはなりません。
試練は、悪と虚偽に対する闘争以外の何ものでもなく、悪と虚偽は地獄からであるので、地獄に対する闘争でもあります。霊的な試練を受けている人間のもとにも、それらをひき起こす地獄からの悪霊がいます。
悪霊が試練をひき起こすことを人間は知りません。それでもそうであることを、私は多くの経験から知ることが与えられました。
[2]人間が主から試練の中で勝利する時、地獄から引き出され、そして天界へ上げられるのはそのことからです——ここから、人間が試練または悪に対する闘争によって霊的に、このように天使になります。
けれども、主はプロリウム(固有のもの)からの力ですべての地獄に対して闘争し、それらを完全に支配し、征服されました。またそのことによって、同時に、自分の人間性を栄化し、地獄を永遠の支配と服従の中に保たれています。
[3]というのは、主の来臨の前の地獄は、天界の天使そのものを、同様に世に生まれて世から去るすべての人間を攻撃し始めるような高みにまでも上がったからです。
地獄がこのような高みに上がったことの理由は、教会が完全に荒され、世の人間が偶像崇拝から虚偽と悪そのものの中にいたからです。〔このような〕人間から地獄があります——ここから、主が世にやって来られなかったなら、だれも人間は救われることができませんでした。
これらの主の闘争について、「ダビデの詩篇」と「預言書」に多く扱われています、しかし、「福音書」にはわずかです。
主の受けた試練によって意味されるものはそれらの闘争であり、それらの最後のものは十字架の受難でした。
それらから、主は救い主とあがない主と呼ばれます。
[4]このことは教会の中で、主は死または悪魔、すなわち、地獄に勝利した、勝利とともによみがえった——さらにまた、主なしに何も救いはない、と言われるように、これほどによく知られています。
さらにまた、ご自分の人間性を栄化されたこと、またそのことによって、永久に救い主・あがない主・改革者・再生者になられたことが続きの中に見られます。
主が闘争または試練によって救い主となったことは、前に示された豊富なものの箇所(12―14番)から明らかです——また「イザヤ書」の次のことから、
復讐の日がわたしの心に〔ある〕、またわたしのあがないの年が来た。……わたしの怒りの中で(彼らを)踏みつぶし、わたしは彼らの勝利を地に下げた。……それゆえ、彼らに、救い主となった(63・4、6、8)。
その章では主の闘争について扱われています。
また、「ダビデの書」に、
門よ、あなたがたの頭を上げよ……世の戸よ、上がれ、栄光の王が入るために。この栄光の王はだれか? 力あるエホバまた英雄、戦いの英雄エホバ(詩篇24・7、8)。
これらもまた主について扱われています。