カテゴリー

神の愛と知恵 14

013◀︎目次▶︎015

神人間の中でエッセとエキシステレは区別のある一つのものである

14 エッセ(存在)のあるところに、エキシステレ(実存)があります。一方はもう一方なしに存在しません——なぜなら、エッセはエキシステレによって「存在する」、またそれなしに存在しないからです。
 このことを理性的な人間は、何らかのエッセが「存在するようになる」ことがなくて存在することができるかどうか、またエッセからでないならエキシステレが存在することができるかどうか考える時、理解します。一方はもう一方のものとまたもう一方なしに存在しないので、一つであり、区別のある一つのものである、といえます。
 愛と知恵のように区別される一つのものです——さらにまた愛はエッセであり、知恵はエキシステレです、というのは、愛は知恵の中でないなら存在せず、知恵も愛からでないなら存在しないからであり、それゆえ、愛が知恵の中にあるとき、存在するようになるからです。
 これらの二つのものは確かに思考で区別されることができるように一つですが、活動では区別されません——思考では区別されますが、活動では区別されることができないので、それゆえ、区別のある一つのものである、と言われます。
 神人間の中のエッセとエキシステレもまた霊魂と身体のように区別のある一つのものです——霊魂はその身体なしに存在しないし、身体もまたその霊魂なしに存在しません。
 神人間の神的な霊魂は神的なエッセによって意味されるものであり、神的な身体は神的なエキシステレによって意味されるものです。
 身体なしに霊魂が存在するようになり、考え、賢明であることができると考えることは〔感覚の〕欺きから生ずる誤りです。というのは、人間の霊魂は、世の中で持ってまわった物質的なぬけがらを捨てた後に、霊的な身体の中に存在するからです。