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神の愛と知恵 24

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24 すべての人間は、たとえ気づかなくても、集団について人間のように考えています。さらにまた、それゆえ、「国王は頭であり、臣民は身体である」と言われるとき、さらにあの者やこの者は共有の身体の中で、すなわち、王国の中で、このようであると言われるとき、すぐさま認めます。霊的な身体の場合も、市民としての身体の場合と同様です。霊的な身体は教会であり、その頭は神人間です。
 ここから、このことを知覚するとき、もし、全世界の創造者で維持者である唯一の神でなく、一つに代わって多くの神が考えられるとき、人間として見られる教会がどのようなものとなるか明らかです。知覚の中で、一つの身体の上に多くの頭があるように、人間のようではなく怪物のように見られます。
 「それらの頭に一つの本質があり、そしてその本質によってともに一つの頭をつくる」と言われるなら、ここからは結果として、一つの頭に多くの顔があるかあるいは多くの頭に一つの顔があるという考えしか生ずるはずがありません。この知覚の中で教会は醜いものとして示されます——それでも、一つの神が頭であり、教会が身体であるとき、人間の中でも生じるように、その身体自体からでなく、頭の指図から行動します。
 またここから、一つの王国の中に国王は一人でなくてはなりません。というのは、〔王国は〕多くの国王により引き離されますが、一人の国王により保たれることができるからです。