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神の愛と知恵 146

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太陽としての主から発出する神的な愛と神的な知恵は、天界の熱と光をつくり、発出する神性であり、聖霊である

146 『新しいエルサレムの教え主について』の中に、神は一つの位格と本質であり、その中に三一性があること、神は主であること、なおまた、その方の三一性は父、子、聖霊と呼ばれること、そしてその方からの神性は父、神的人間性は子、発出する神性は聖霊と呼ばれることが示されています。
 発出する神性と言われますが、それでも、発出すると言われるのはどこからなのか、だれも知りません。知られていないのは、主が天使たちの前に太陽として見られ、その太陽から、本質では神的な愛である熱が、なおまた本質では神的な知恵である光が発出することに今まで無知であったからです。これらの無知があるかぎり、発出する神性はそれ自体によって神的であるとしか知ることができません。それゆえ、「アタナシウスの三一性の教え」の中にもまた、父の位格、子の位格、また聖霊の位格があり、それらは別ものである、と言われています。
 けれども、今や、主は太陽として見られることが知られるとき、聖霊と呼ばれる発出する神性について正しい観念をもつことができます。それは、主と一つであり、太陽からの熱と光のようにその方から発出するものです——さらにまたこのことが、天使が愛と知恵の中にいればいるほど、それだけ神的な熱と神的な光の中にいる理由です。
 主が霊界の中に太陽として見られ、神性そのものがこのように発出することの知識なしに、発出することによって何が意味されるのか、〔聖霊の働きとは〕父と子のものであるそれらを伝達することだけなのか、または照らすことと教えることだけなのか、〔と思ってしまう〕ように、決してだれも知ることができません——それでも、神は一つであり、またその方が遍在されることも知られているとき、このように聖霊をそれ自体によって神性として認め、神と呼び、そして〔父や子と〕区別することは、照らされた理性のすることではありません。