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神の愛と知恵 166

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166 すべてのものは主により生きている太陽によって創造され、死んだ太陽によっては何も創造されないことは、生きているものは死んだものをそれ自体に従順なものへとしむけ、それを目的である役立ちに向けて形作りますが、その逆ではないことから明らかにすることができます。
 「すべてのものは自然からである、いのちもまた自然から存在する」と考えることは理性を奪われた者にしかできません。彼はいのちとは何か知りません。自然はいのちを何ものにも配置することはできません、というのは、自然は本質的に不活発なものであるから。死んだものが生きているものに、すなわち、死んだ力が生きている力に、あるいは同じことですが、自然的なものが霊的なものに働くことは、まったく秩序に反しています、それゆえ、そのように考えることは健全な理性の光に反しています。
 確かに、死んだものが、すなわち、自然的なものが、多くの方法で外なる偶発的なものにより曲げられ、変えられることができます、しかしそれでも、いのちに働きかけることはできません。いのちが、ひき起された形の変化にしたがって自然の中へ働きかけるのです。このことは霊魂の霊的な働きの中への物質的な流入と同じであり、それはありえないので、存在しないことがよく知られています。