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神の愛と知恵 241

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241 高さの三つの段階は目的・原因・結果のようであり、それらの段階にしたがって愛・知恵・役立ちが続くことを前に述べました。それゆえ、ここに、目的である愛について、原因である知恵について、結果である役立ちについて手短に述べます。
理性が光の中にある時に、自分の理性に相談する者はだれでも、人間のすべてのものの目的は彼の愛であることを知ることができます。なぜなら、愛するものを考え、結論し、行なって、これを必然的に目的としてもつからです。さらにまた人間は自分の理性から知恵が原因であることを知ることができます。なぜなら、人間は、すなわち、目的である彼の愛は、理解力の中に手段を捜し求め、それによって自分の目的へと到着するからです。このように自分の知恵に相談し、そしてその手段が原因となります。
役立ちが結果であることは説明なしに明らかです。しかし、ある者のもとの愛と他の者のもとの愛は同一ではありません。したがって、ある者のもとの知恵と他の者のもとの知恵も同一ではありません。それゆえ、役立ちも同一ではありません。また、三つのそれらのものは(前の189―194番に示されているように)同質であるので、人間のもとの愛がどのようなものであるかによって、彼のもとの知恵も、また役立ちもそのようなものである、といえます。
知恵について述べましたが、それは彼の理解力のものを意味しています。