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神の愛と知恵 242

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霊的な光は三つの段階を通って人間のもとに流入するが、霊的な熱は人間が悪を罪として避けて主に目を向けないかぎり流入しない

242 前に論証されたことから、神的な愛と神的な知恵の最初に発出するものである天界の太陽(このことについて「第二部」で扱いました)から光と熱が、その方の知恵から光が、その方の愛から熱が発出し、光が知恵の容器であり、熱が愛の容器であること、また人間が知恵の中にやって来れば来るほど、それだけその神的な光の中に、愛の中にやって来れば来るほど、それだけその神的な熱の中にやって来ることが明らかです。
 さらにまた前に論証されたことから、光の三つの段階と熱の三つの段階、すなわち知恵の三つの段階と愛の三つの段階があること、これらの段階は、人間が神的な愛と神的な知恵の容器、したがって主の容器であるために、人間のもとに形成されていることが明らかです。
 さて、ここで論証しなければならないことがあります。霊的な光は三つの段階を通って人間のもとに流入しますが、霊的な熱は人間が悪を罪として避けないかぎり、また主に目を向けないなら、流入しないこと、あるいは同じことですが、人間は知恵を第三の段階にまでも受け入れることができますが、悪を罪として避け、また主に目を向けないなら、愛を受け入れることができないこと、あるいはさらに同じことですが、人間の理解力は知恵の中に上げられることができます、けれども、彼の意志は上げられないことです。