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神の愛と知恵 244

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244 世の中で同様に生じています。
 完全には愚かでなく、自己の知性の高慢から自分のもとの虚偽を確信していなかった人間は、高い事柄についての話しを聞く時、またはこのようなものを読む時、知ろうとする何らかの情愛の中にいるなら、その時、それらを理解し、保持もし、その後、それらを確信することもできます。
 悪い者も善い者と同様にできます。悪い者もまた、たとえ心で教会のものである神性を否定していても、それでも神性について理解することができ、そしてまたそれを話し、述べることも、さらに学者らしい文書でそれを確証することもできます。しかし、自分自身で考えるとき、地獄の自分自身の愛からそれに反して考え、それを否定します。
 そのことから、理解力は霊的な光の中にあることができても、それでも意志は霊的な熱の中にないことが明らかです。
 そのことからまた、理解力は意志を導きません、すなわち、知恵は愛を生み出さず、単に道を教え、示すことがいえます。人間はどのように生きるべきかを教え、どの道を行くべきか示すのです。
 そしてまた、意志が理解力を導き、そしてそれ自体と一つとして働くように行動することがいえます。意志のものである愛は、理解力の中の一致するものを知恵と呼びます。
 続きの中で、意志は理解力なしに単独では何も行なわず、行なうすべてのものを理解力と結合の中で行なうこと、そして、意志は、流入によって、それ自体の交わりの中へ理解力を結びつけますが、逆ではないことが見られます。