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神の愛と知恵 257

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257 〔次のものが〕結果です——

 (1) 自然的な心は、天使がその中にいる天界の光にまで高揚され、そして天使が霊的に知覚するものを自然的に、したがって、それほど完全にでなく、知覚することができるが、それでも人間の自然的な心は、天使の光そのものの中に高揚されることはできない。
 (2) 人間は、天界の光にまで高揚された自分の自然的な心によって、天使と考えることが、それどころか話すことができるが、その時、天使の思考と言葉が人間の自然的な思考と言葉の中に流入するのであって、その逆ではない。それゆえ、天使は人間と、その人間の母語である自然的な言語で話す。
 (3) このことは自然的なものの中への霊的なものの流入によって生じるのであって、霊的なものの中への何らかの自然的な流入によってではない。
 (4) 人間の知恵は、人間が自然界の中に生きるかぎり自然的であり、決して天使の知恵の中に高揚されることはなく、単にある種のその像の中に高揚されるのである。その理由は、自然的な心の高揚が、陰から光へ、すなわち、粗雑なものから純粋なものへのように、連続によって行われるからである。
 しかしそれでも、霊的な段階が開かれている人間は、死ぬ時、その知恵の中にやって来る、また身体の感覚を眠らせることによって、その時、さらに上のものからその心の霊的なものの中への流入によって、その中へやって来ることもできるのである。
 (5) 人間の自然的な心は、霊的な実体から、また同時に自然的な実体から構成されている——思考はその霊的な実体から生じるが、自然的な実体からではない。自然的な実体は、人間が死ぬとき去る、けれども、霊的な実体は去らない。それゆえ、同じその心は、死後、人間が霊または天使となる時、世の中でいたのと同様の形の中にとどまる。
 (6) いま述べたように、死後に去るその心の自然的な実体は、霊と天使がその中にいる霊的な身体の皮膚としての被膜になる。
 自然界から取られたものであるこのような被膜によって、霊や天使の霊的な身体は存続する、というのは、自然的なものは最も外部の容器であるから——ここから、人間に生まれなかった霊や天使はだれもいない。

 ここに、人間の自然的な心がどんなものであるか知られるためにこれらの天使の知恵のアルカナを提示しましたが、それについてさらに続きの中でもまた扱います。