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神の愛と知恵 256

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本質的に眺められた人間の心の自然的な段階は連続しているが、高揚される時、二つの高い段階と対応によって分離しているように見える

256 高さの段階についての知識の中にまだいない者に、このことはほとんど理解されることができないとはいえ、天使の知恵に属するので、やはりそれでも示さなければなりません。その知恵は、天使のようには自然的な人間によって考えられることができないとはいえ、それでも理解力が天使のいる光の段階にまでも高揚される時、理解されることができます。というのは、理解力はそれだけ高揚され、そして高揚にしたがって照らされることができるから。
 しかし、自然的な心が照らされることは、分離した段階を通して上昇するのではなく、連続した段階を通して増大します。その時、増大するほど、内的なものにより高い二つの段階の光から照らされます。
 どのようにこのことが生ずるかは、一つのものが他のものの上にあること、最後のものである自然的な段階が、いわば二つの高い段階の全般的なおおいであること、その高さの段階を知覚することから理解することができます。その時、自然的な段階が高い段階へ上げられるほど、高いものは内的なものにより自然的な外的なものの中に働き、照らします。
 確かに、照らしは高い段階の光から内的なものにより生じます、しかし、受ける照らしは、高い段階を包み、囲む、自然的な段階により、連続によって、このように上昇にしたがっており、さらに明るく、さらに純粋です。すなわち、自然的な段階は内的なものにより高い段階の光から分離して照らされますが、それ自体の中では連続しています。
 これらから、世の中に生き、またそのことによって自然的な段階の中にいるかぎり、天使のもとにあるような同じ知恵の中に高揚されることはできませんが、天使の高い光の中へ高揚され、それらの光により照らしを受け入れるなら、それらは内的なものにより流入し、照らすことができることが明らかです。このことはこれ以上明らかに述べることはできませんが、結果からさらによく理解されることができます。というのは、結果は、これらがいくらか前もって知られている時、原因をもたらし、光の中にそれ自体を置き、こうして説明するからです。